川淵流「独裁力」がBリーグ設立を成し遂げた トップは独裁的に決断を下すべきだ
2016年秋に新リーグを開幕すること、1~3部のピラミッド型のリーグ体制とすること、トップリーグに関してはホームゲームの8割以上を開催できる5000人以上収容可能なアリーナを確保すること、サラリーキャップを外すこと、といったものだ。また、この会議では、チームに企業名を残すことも伝えた。
新リーグ3部制にすると言ったとき、会議場がざわついたのがわかった。「2部に落ちたらファンが離れる」「スポンサーが離れる」「チームが潰れてしまう」、「ましてや3部では」という感じ。とにかく、1部に入れてほしいというわけだ。
それは端から無理な話だった。bjリーグ24チーム、NBLが12、さらにその下に2部に相当するリーグもある。40も50もあるチームがひとつのリーグでやれるわけがない。
僕は、「あなたたちは自分のクラブにそんなに自信が持てないのか。ファンは2部に降格したとしてもついてきてくれる。出してくれるお金が多少減ったとしても見放すスポンサーはそういない」と訴えた。
バスケットボールの人たちはそういう経験をしていないから、2部に落ちたら経営が成り立たないと恐れてしまう。Jリーグのように、仮に3部であっても、ファンや地域住民がしっかり支えてくれるようになれば、簡単に潰れることもないし、潰すこともないのだ。
リーグ幹部と議論はしなかった
ところで、この私案を示すにあたって、僕はJBAやリーグ幹部と議論をしていない。
これまでの人生で朝早く目が覚めるとか、眠れないなんてことはほとんどなかったが、タスクフォースのチェアマンになってからは、眠れずに考え続ける日々が続いた。そして、日本バスケットボール界のこれまでやさまざまな問題を整理し、Jリーグの経験を踏まえたうえで、考えに考えて私案を固めたのだ。
その後、2015年5月に正式にJBAの会長に就任し、すべての道筋をつけた後、僕は今年の6月に会長職を退いた。FIBAからは「継続してほしい」と言われたが、新たに会長の定年を設けたにもかかわらず、79歳の僕がいつまでも居座ってはよくないと思ったのだ。後任は、バスケットボール界のしがらみがなく、知名度と発信力のある、元バレーボール選手の三屋裕子氏にお願いすることにした。
短期間で改革を成し遂げるためには、ある意味、「独裁的」なリーダーが必要だ。
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