モノレールの施設は廃止後も一部を除いて撤去されず、事実上放置に近い扱いだった。2000年代に入ると、手柄山の地下に設けられていた手柄山駅の再活用構想が浮上。同駅で保管されていた車両や駅名標などを展示する施設に改装され、2011年4月に「手柄山交流ステーション」としてオープンした。
一方、高尾アパートは大将軍駅の施設が閉鎖された後も、アパートやビジネスホテルなどの商業施設として使われ続けた。しかし、建設から半世紀近くが過ぎて老朽化が進み、このほど解体が決定。大将軍駅も姿を消すことになった。そこで姫路市は今年8月13・14日の2日間、一般向けの見学会を実施したのだ。
これに対し、沿線住民だけでなく鉄道マニアや建築マニアらの応募が殺到。最終的には10倍以上の競争率になったという。見学会に参加した40代男性のマニアは「子供の頃に絵本で見た青い車体のモノレールの絵が、ずっと記憶に残っていた。まさか生きているうちに『幻のモノレール』の大将軍駅を見られるとは」などと話し、すすけたホームや駅名標に目を輝かせながら、カメラのシャッターを何度も切っていた。
「未来の乗り物」として整備
姫路モノレールの運行期間はわずか8年で、大将軍駅に至っては2年間しか営業していない。「幻のモノレール」と言いたくなる気持ちもわかる。とはいえ、営業していたことは事実だから、厳密にいえば幻のモノレールではない。
ただ、姫路における都市交通整備の歴史という視点で見ると、姫路モノレールは「幻のモノレール」と言い切っていいのではないかと思う。開業した姫路~手柄山間は、姫路市が構想していた路線のごく一部に過ぎず、これ以外の区間は実現しなかったからだ。
姫路市は戦後、復興計画の一環として道路など交通インフラの整備を進めた。公共交通の分野では、1946年から市営バスの運行を開始。続いてトロリーバスの運行を計画し、1951年2月には軌道法に基づく営業許可(軌道特許)を受けたが、工事資金の不足を理由に中止している。
続いて1960年代に入ると、姫路市はモノレールの整備を考えるようになる。この頃、モノレールは「未来の乗り物」として注目を浴びており、複数のメーカーが開発に力を入れていた。一方で姫路市内の交通事情が経済発展とともに悪化していたことから、抜本的な交通対策の一環としてモノレールを整備することにしたのだ。
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