これに対して反対派の公述書は、市財政の推移など具体的な数字を挙げ、モノレールを利用する人は少なく採算が取れない、市財政を圧迫する、導入は時期尚早……などと主張している。ざっと読んでみた限り、反対派の主張のほうに説得力を感じた。
また、聴聞会に先立つ1964年8月、自治省財政局長が運輸省鉄道監督局長に宛てた文書もあった。観光路線であるならば「とくに異議はない」とする一方、都市交通機関としては「現在の姫路市の財政事情からみてこのモノレール事業のために今後多額の一般財源を投入することは困難であり、事業の性質上適当でない」と記されている。政府内でも、姫路モノレールの経営を不安視する向きがあったようだ。
極めつけは「姫路市モノレール設置反対市民共斗会議の実態について」と題した文書だ。反対運動団体の実態は労働組合であるとし、「特定の政党又は労働団体の一部幹部の打算によつて、反対運動を展開しようとしたもくろみであることは明らかであります」などと記している。
この文書は、なぜか日付と署名が入っていない。本文の内容から、賛成派集会での発言をまとめたものと推測されるが、誰が、どのような意図で作成したのかはわからない。ただ、内容からして賛成派の関係者が作成したことは明らかだ。姫路モノレールの関係文書として国立公文書館が所蔵しているということは、姫路市が免許申請の際に「参考資料」として運輸省に提出したのだろうか。
もし一時凍結していたら……
いずれにせよ、反対派の主張への反論ではなく「あいつらは○○だ」というレッテルを貼るなど、穏やかな話ではない。反対運動団体だけでなく自治省もモノレール計画を不安視しており、「このままでは申請が却下されてしまう」と考えた賛成派の焦りが、このような文書の作成につながったのかもしれない。
「実態について」の文書が効いたのかどうかは不明だが、姫路市は聴聞会の開催から1カ月後、モノレールの地方鉄道免許を受けた。しかし、その後の結果は反対派が主張したとおりに。姫路市政に汚点を残した。
ちなみに、道路特定財源からモノレールの建設費用を拠出する「都市モノレール」の制度が確立したのは、姫路モノレールが営業を終了した頃のこと。あのとき、「時期尚早」という意見を姫路市が採り入れて計画を一時凍結し、都市モノレールの制度が確立するのを待って計画を再開していたら、姫路モノレールも違った展開になっていたのだろうか。
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