さて、三河安城通過から約4分後。東海道本線笠寺駅を過ぎ、在来線と別れて左にカーブすると、E席側に奇妙な高架線が近づいてくる。ぶつ切りになった高架線の上には、ソーラーパネルなどが雑然と置かれている。
これは、かつて国鉄が建設し、ほぼ完成しながら一度も列車が走ることなく放棄された、南方貨物線の跡。国鉄が物流の中心だった昭和40年代、名古屋付近の東海道本線は旅客列車と貨物列車が混在し、非常に混雑していた。そこで、笠寺駅から新しく建設される貨物駅(現在の名古屋貨物ターミナル駅)へ直接入れるバイパス線を建設したのだ。
工事は1975年までにほとんどの区間で完成したが、その頃には鉄道貨物の需要が激減しており、南方貨物線の存在意義は薄れてしまっていた。1979年には正式に南方貨物線の建設中止が決まり、高架線は放棄されることになった。
昭和の「陰の鉄道史」がここに…
笠寺駅から分岐した南方貨物線は、東海道新幹線と立体交差し、堀川を渡るまで40秒ほどに渡って、A席側に高架線が並走する。ほとんどが野ざらしのままでうち捨てられているが、アパートや資材置き場に再利用されているところもある。また、名古屋貨物ターミナル付近の一部の高架線は、名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)に再利用されている。
南方貨物線計画が放棄された結果、東京方面から来た貨物列車は、名古屋貨物ターミナル駅に入るには東海道本線稲沢駅へ行き方向転換を行う。名古屋駅を二度通過するなど、無駄が多いように見えるが、これで成り立ってしまっているのが現状だ。南方貨物線は、新幹線の車窓から見られる、陰の鉄道史である。
(写真はすべて筆者撮影)
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