「ご縁」という日本語に込められた深い意味 どれ一つ取ってみても、当たり前ではない
その例が、「ご縁」は時として「Our meeting was linked by fate!」と訳されることがあります。これは「私たちの出会いは(神に定められた)運命によって結ばれていた」というような意味なります。
縁起という教えから生まれた「ご縁」
では、「ご縁」に含まれるその不可思議なはたらきとは、一体何なのでしょうか?
私は、この根底にあるのは「物事はすべて繋がって成り立っている」という考え方だと思っています。これは、仏教でいう「縁起(えんぎ)」の教えです。縁起とは「因縁生起(いんねんしょうき)」の略です。物事には因(原因)があり、それに縁が作用して生起(物事/結果が起こること)すると読み解きます。
これは英語で考えた方がよりイメージし易いので、英単語で説明します。縁起は英語では「Dependent Co-Arising」といいます。
「Dependent」とは、「依存する」という意味です。「Co」とは「同時に」を指し、「Arising」は「起こる(生起する)」の意味です。つまり、「(物事は)同時に生じること(の作用)に依存して成り立っている」という意味です。
出会い一つにしても、数えきれない無数の事象が関係し合って成り立っています。別の言い方をすると、無数の事象が一つでも欠けていれば、その出会いはまた違ったものになり、極端な言い方をすれば、その出会い自体が存在していなかったかもしれません。
実は、今直面している私たちのそれぞれの現状は、無限に広がる生起の重なり合いによって成り立っており、不可思議としか言いようがありません。これが「ご縁」という言葉の中身です。
「ご縁」という言葉は縁起に由来していますが、本来ならば「縁」だけで充分です。しかし、「縁」の前に「ご」が付くのはなぜか考えたことはあるでしょうか?
普段、私たちは当然のように人と会い、ご飯を食べ、生活していますが、実はどれ一つとっても不可思議なことであり、当たり前ではないのです。無意識にも二度と巡り遇うことができないという感覚がはたらき、有り難い(めったにない)という感謝の気持ちが起こり、「縁」を尊ぶために「ご」という敬語を付けて「ご縁」というのです。
私の口癖になっていたこの言葉をからっぽにしないためにも、事象の背景にあるものに目を向け、自分を包んでくれている「ご縁」に感謝することを忘れないようにしたいと思います。
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