原宿駅建替で都内最古の木造駅舎はどうなる 明治神宮と関係深い瀟洒な洋風建築の運命は

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屋根の上には小さな尖塔がある

原宿駅の開業は1906年4月。これより以前、現在の山手線のうち、品川から新宿、池袋、板橋を経て赤羽に至る「品川鉄道」と呼ばれた支線が、1885年3月、日本鉄道会社により開業していた。原宿駅の設置はこの路線の開通から18年後のことだ。

現在の表参道口に建つ洋風の駅舎は、1924年6月に竣工した二代目になる。東京都内のJR路線では最古の木造駅舎となっている。建物は切妻造で、平入り(軒が降りる側の面)のほぼ中央に切妻を造作し、ファサード(建物のアイコン的な立面)としている。

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時計のまわりの装飾がいかにもヨーロッパ的だ

ファサードや外壁は、白壁に木骨を表に出して意匠とした「ハーフティンバー」と呼ばれる様式で、屋根上には小さな尖塔が載る。この尖塔は木製のルーバー8面で構成された塔に、銅板の屋根を葺いたもの。ファサードに掲げられた時計まわりの装飾や、時計上部の木彫の意匠と相まって、ヨーロッパの田舎街に建っていそうな、瀟洒な印象を投げかけている。

設計者は鉄道省工務局建築課の長谷川馨。幻の名駅舎と呼ばれる二代目横浜駅舎(1916年竣工)の設計にも携わった技師である。この二代目横浜駅舎の屋根にもシンボリックな尖塔が建てられていた。

明治神宮との関係は…

改札口を入り、跨線橋を渡ってホームに降りると、ゆるやかな風に乗って木々の匂いが薫ってくる。ホームの西側は“常磐の杜”と呼ばれる、緑豊かな明治神宮の敷地に接しており、木々の精気がホーム上まで流れて来ているようだ。

1912年7月30日、明治天皇が崩御。陵墓は京都の伏見桃山陵に置かれたが、東京の代々木御料地に、明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする明治神宮が造営されることとなった。

およそ100年前、代々木の一帯は広大な荒れ地だった。その荒れ地に約10万本という木々を植栽し、鎮守の杜にする仕事を成し遂げた中心人物が、林学博士で造園家の本多静六とその教え子たち。本多静六は日本で最初の鉄道林(吹雪防止林)を提言した鉄道林の生みの親でもある。

人工林となる鎮守の杜を、東京の環境に適した樹種とし、自然更新しながら永久に続く森となるよう綿密な計画が練られた。「明治神宮御境内林苑計画」と題された計画書には、100年後、150年後の森の姿が描かれ、これに基づき植栽が実行された。

日本全国から寄せられた10万本近い献木と、青年団の勤労奉仕により、明治神宮は造営開始から5年後の1920年11月1日、鎮座の大祭を迎えた。原宿駅と明治神宮を結ぶ「神宮橋」は、同年9月に完成している。

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