日本人が信じてやまない「法治主義」の死角

「舛添問題」は哲学的に見てきわめて興味深い

そういえば、当時「ウィーンはどうでしたか?」と私に媚びるように問いかける先生方が少なくなかった中で、彼にとってヨーロッパ(とくにフランス)は故郷のようなもの、とりたてて話題にするほどではないと思っていたのか、いっさい彼と「むこう」の話をした覚えはありません。

廊下で会うと軽く会釈する程度であり、東大法学部の首席を鳩山邦夫さんと競い合った超秀才の舛添さんにとって、うろうろ迷い続けた末、やっと37歳で助手にたどり着いた私など眼中になかったのでしょう。

ただ、社会科学科では、先生方は書物を刊行するとすべての同僚にそれを献本する習慣がありましたので、舛添さんから著作が献本されるや否や読み、ほかの助手仲間と一緒にさかんに「誉めた」思い出は何度かあります。当時3人いた助手は、助教授以上の先生方の著作が刊行されると、それを急いで読んで「誉めちぎる」ことが、仕事の一環として含まれていた(?)かのような雰囲気でした。

やがてテレビに出まくる「鋭い論客」に

舛添さんの講義は、当時立ち見が出るほど、いや教室に入りきれなくて窓の外から「聴講」する学生も出るほどの人気ぶりであって、そのときの講義に関する著作が出たときには、舛添さんが「それなのに、これ、安すぎるよなあ」と呟いていたのを憶えている。あるいは、彼は「朝まで生テレビ」より前にも時折テレビの討論番組などに出ていたのですが、翌朝、助手たちは、舛添さんの意見がいちばん「まとも」だったと彼に軍配を上げることが常でした。

ついでながら、舛添さんが「『フライデー』にフォーカスされちゃった」と「嬉しそうに」語って、その掲載誌を机の上にどさっと投げ置いたことも覚えている。としても、舛添さんのストレートな態度には嫌味がなく、どこまでも気さくであり庶民的であって、よく下駄を履いたまま駒場の構内を自転車で行き来していました。

その後、いわゆる「中沢問題(1987~1988年、東京大学で起こった教官人事をめぐる対立騒動)」で舛添さんは西部邁さんとともに東大を辞職するのですが、やがて鋭い論客ぶりを発揮した「朝まで生テレビ」をはじめ、テレビにどんどん出るようになり、時には「舛添要一特集」が組まれ、そこで何カ年かのうちに総理大臣になる計画を披露していた(?)こともおぼろに思い出されます。

「朝まで生テレビ」では、専門的知識を欠いた「素人発言」を毛嫌いし、徹底的に論駁するのが常でした。やがて、参議院議員、厚生労働大臣、都知事となるはなばなしい経歴は誰でも知っての通り。

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