「国境なき医師団」の厳しい現実 その活動資金は個人が支える

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大地震から2年半 不衛生で劣悪な環境

カリブ海に浮かぶ島国、ハイチ。10年にマグニチュード7・0の大地震が発生し、首都ポルトープランスを中心に甚大な被害を受けた。追い打ちをかけたのが、コレラの大流行だった。MSFはすぐに現地入りし、全国50カ所の施設で活動。およそ17万人のコレラ患者を治療してきた。しかし、13年になっても、いまだコレラは収束する兆しがなく、MSFの支援は続いている。

看護師の京寛(きょうかん)美智子さんは、05年からMSFに参加、これまでシエラレオネ、ナイジェリア、南スーダンなどアフリカを中心に8回の派遣歴を持つ。総派遣期間は45カ月に上る。

震源地に最も近いレオガンにあるコレラ治療のテント病院

京寛さんがハイチに派遣されたのは、10年11月末から翌年2月までの約3カ月間。京寛さんがいた医療施設は、各20ベッドほど入る大きなテントが九つあり、外国人スタッフは医師が3~4人、看護師6~7人、ロジスティシャン5~6人と多く、現地スタッフも約100人ほどいる大きな施設だ。妊婦やHIV患者などもいたが、ほとんどはコレラ患者だ。MSFの施設はコレラ専門施設が多かった。

京寛さんは「地震の後も復旧というには程遠い。きれいな水の確保が難しく、街なかであっても排泄物などを垂れ流しているというのが現状。自分たちの分も含め、とにかく水の確保が重要だった」と振り返る。

最初の1カ月間、夜は外国人スタッフ数名と同じテントでごろ寝していた。水も自分たちで塩素消毒などして使い、衛生状態は劣悪だった。幸いにも外国人スタッフからはコレラに感染した人は出なかった。勤務時間は朝6時から夕方6時までだが、夜間の救急患者などは現地スタッフには任せられないので、「まさに24時間体制だった」(京寛さん)。

京寛さんが怒りに震えたことがあった。それは、ハイチの大統領選(10年11月)のときだ。コレラが大流行している最中に、選挙が行われ、それに伴い一時は内乱状態になり、道路が遮断されたり交通障害も起こった。市民も医者も病院に行きたくても行けない事態となったからだ。

もともと水道などインフラは整備されていなかった。2年以上もコレラの流行が収束しなかったのは、大地震だけのせいではないのだ。

この3カ国は、MSFが援助活動を行っているアフリカ、中南米、中東など約60カ国のほんの一部にすぎない。

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