舛添都知事が一転して辞職を決断した事情 いつ誰と何の取引をしたのか

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「これ以上、都政の停滞を長引かせることは私にとっても耐え難いことだ。したがって私が身を引くことが一番だと考えるに至り、都知事の職を辞する決意をした」

午後6時から始まった本会議。午後8時10分から行われた辞職のスピーチは、3分にも満たなかった。簡潔に述べられた辞職の動機は、これまで辞職を拒んできた舛添氏の言動と整合性がとれないものだ。

その日の早朝に官邸関係者と極秘に接触したという話も出ている。都議会のゴタゴタが参院選に影響すること、解散に伴い都議選を行うことによる出費増を恐れた官邸(自民党)が、自ら乗り出したということになる。

そこで出された“条件”を舛添氏が受け入れ、急きょ辞職が決まったという。官邸との取引、最低でも接触があった証拠といえるのが、情報の流れ。実は、最初に舛添氏が辞意を固めたとの一報が出たのは官邸筋だ。

官邸の焦り

実際のところ、参院選での自民党の戦いは楽ではない。とりわけ東京都選挙区は、2007年には当選確実と思われたベテランの保坂三蔵氏が惜敗し、2010年には“第2の候補”である東海由紀子氏が落選。2013年は丸川珠代氏と武見敬三氏が当選したものの、浮動票の大量獲得を命じられた丸川氏の票が伸びず、武見氏の組織票を浸食したため、武見氏は最後の1議席を民主党(当時)の鈴木寛氏と争うことになった。

7月に行われる次期参院選では、自民党は東京都選挙区の“第2の候補”として元ビーチバレー五輪代表の朝日健太郎氏を擁立したが、知名度はさほど高くない。さらにこの度の騒動の“後遺症”も残っている。これ以上、舛添氏を居座らせれば、舛添氏を擁立し支援した自民党執行部の製造物責任が問われかねず、首都惨敗という悲劇が起こるかもしれない。官邸はそれを避けたかったのである。

「舛添氏が知事を辞職しても、百条委員会を開いて真相を明らかにすべきだったが、設置案が否決されてしまった」

いち早く知事室に辞職勧告を届けた東京維新の会の柳ヶ瀬裕文都議はこう述べて悔しがる。舛添氏の前任者の猪瀬直樹氏は、百条委員会設置が決定された翌日に知事を辞任したため、そのまま同委員会は開かれることはなかった。

政治の流れは速い。すでに話題は次の段階へと進んでいる。誰が次の知事になるのか、だ。

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