「真っ青」なハンバーガーが売れる町の正体 それは地域の危機感から生まれた

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雨の日はつらいリアルジーンズタクシー

最近の倉敷では通りの木々の葉をデニムに変えた街路樹が登場。外装がブルーで、内装にはデニム生地をあしらった「デニムバス」、外装にデニム生地を施した「リアルジーンズタクシー」が走っている。リアルジーンズタクシーはビンテージ感を醸し出すダメージ加工や脱色処理を施すなど、色落ちや破れといったデニムの魅力を表現している本格派だ。ただデニム生地のため晴天時のみ運行だとか。

街角の灰皿にもデニム

岡山県ではJRグループと地元自治体の連携により、「晴れの国おかやまデスティネーションキャンペーン」と呼ぶ、全国から観光客を呼び込む仕掛けがこの6月まで展開されている。その一環で、JR児島駅では構内にジーンズのオブジェを設置するほか、改札や階段、窓、エレベーター、ロッカーをジーンズ柄にラッピング。更には駅名を「ジーンズステーション児島」と命名している。

「このままでは地元が衰退してしまう」

それにしてもなぜ、倉敷はここまで「デニム推し」なのか。背景を探ると、地元の危機感にたどり着いた。倉敷市は明治時代から「繊維の街」として知られていて、かつては日本の学生服のシェア9割を占めていた。現在でも男子学生服の約7割が生産されている。そんな倉敷は昭和30年代からは集団就職者で賑わい、地元の商店街はあふれんばかりの人通りだったという。そして昭和40年代になると全国に先駆けて国産ジーンズの製造を始めたが、昭和60年代以降は大型郊外店の影響で商店街のシャッター化が進んだ。

「このままでは地元が衰退してしまう」――。そんな地元の商工会やメーカーが寄り添って、2009年に発足したのが、初めて国産ジーンズをつくった児島地区の特徴を打ち出すことで町おこしを目指す「児島ジーンズストリート推進協議会」だ。

まずは地元の商店街を「児島ジーンズストリート」と命名し、地元ジーンズメーカに働きかけ、空いている店舗への誘致に乗り出した。そのほか定期的なジーンズ即売会を実施したり、アート作品とコラボしたりするイベントを開催したほか、通りのアスファルトをデニム色に変えるなど、さまざまな面でデニム化を進めてきた。

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