「ノマド=カフェで仕事」ではありません
遊びと仕事の境目がなくなれば、どちらも手にできる
「どこでも自分の力でやっていける能力の持ち主=ノマド」と定義してもよいでしょう。むしろそうした人以外は、ノマドに向かないのです。
「ラクをしたいからノマドになりたい」というのは、そもそも無理な話です。なぜならノマドになるとしたら、最初は相当な苦労があると覚悟しなければなりません。
良い会社には良い仕組みも経験則もあるから、誰がやってもある程度の成果が出せるようにできています。
社員として大きな成果を出していたとしても、そもそも会社が提供してくれる肩書や信用、資本という「1」があるから、そこに自分の能力を掛け合わせることができるのです。会社によってはそれが「2」かもしれず、そこで「年間2億円の売り上げを出した」と胸を張ったところで、すべてが自分の成果だとはいえません。
ノマドになるとは、自動的に提供される数字が「0」になるということ。自分の能力、信用、経験、勉強やアイディアだけを掛け合わせて数字を上げなければならないのですから、その人自体が相当に優秀でなければ淘汰されてしまいます。クリエーティビティや能力がない人にとって、ノマドは険しい道です。ノマドになるには、それ相応の覚悟も準備も必要なのです。
「不安定だろうし、プレッシャーだ」という人は、無理をしてやることもないでしょう。 逆に言うと、自分に向いていると判断し、しっかりと準備をしてノマドになれば、これまでになかった新しいキャリアも人生も築けます。
「本田さんのように自由にいろいろな場所でビジネスができるなんて、一握りの恵まれた人だけですよね」と言われますが、私自身、今の暮らし方・働き方に移行するまでは、多くの試行錯誤を重ねていますし、およそ15年かけて準備をしています。
ノマドの根本にあるのは価値観の変容
以上が「ノマドブーム」の背景と「ノマドの本質」ですが、一過性のブームではなく「ノマドというオルタナティブな選択肢」を現実的に考える人が増加する根本には、価値観の変容があるというのが私の意見です。
新聞やビジネス誌で「良い会社ランキング」などを見ていると、評価理由の多くは「給与が多いこと」、あるいは福利厚生の充実や終身雇用制度です。
しかし、これは私が就職した1990年代から変わらない、何とも昔ながらの発想で、今の現実とは乖離しています。仮に、今もこの価値観が絶対だと思っている人ばかりだったら、とても寂しいことだとすら思うのです。
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