--初めての転職は、いかがでしたか。
新卒で入ったからというのもありますが、シェル石油では仕事のプロセスマネジメントなど、ビジネスの原則をきちんと教えてもらいました。ただ、“間接話法の世界”で、自分のやっていることがなかなか目に見える結果に結び付きませんでした。
一方、日本コカ・コーラは、ユーザーと直結する“直接話法の世界”で、いい宣伝広告が直接、コンシューマーリアクションにつながるんです。たとえば、アメリカの消費財動向から日本の冷蔵庫も大型化するだろうと予測して大成功した、1リットルボトルの販売です。消費者テストで日本人向けに味を変えて売り上げを伸ばした炭酸飲料「スプライト」。仕掛けたことが購買につながることがたまらなく楽しかった。ブランド構築、営業、市場開発などを経験し、生のマーケティングや経営を学ぶことができました。
--日本コカ・コーラで社長になろうとは思わなかったのでしょうか。
日本コカ・コーラへ転職した32歳のときから、社長になりたいと強く思っていましたよ。ところが、初めて就任した日本人社長の業績が良くなかったんです。アメリカ人は振れ幅が大きいから、日本人には経営能力がないと判断されてしまいました。彼らは社内のキーポジションをすべて外国人に変えてしまったんです。
社長と副社長の距離は、副社長と運転手の距離より長いと言われていますから、副社長にはなれても社長になれる見込みはないと思いました。長居は無用と判断したときにタイミングよく、ジョンソン・エンド・ジョンソンから誘いがあったというわけです。
--どういう形でジョンソン・エンド・ジョンソンから誘いがあったのですか。
サンフランシスコのコカ・コーラ関連会社で働いていたとき、ニューヨークと日本のヘッドハンターから声がかかりました。「ジョンソン・エンド・ジョンソンが社長後継者を求めています。あなたが最有力候補です」と。
2カ月くらい考え、帰国後に入社しました。日本コカ・コーラでは99.9%社長になれないという状況の中、社長になることを前提に来てほしいと言ってくれたジョンソン・エンド・ジョンソンに賭けたんです。42歳で入社し、常務、専務を経て、45歳で初めての日本人社長になりました。トップにこだわることがおかしいと思われるかもしれませんが、若い頃はとにかくトップをやりたかったですね。
今は疲れるからもういやですが(笑)。
(写真:今井康一)
1936年東京生まれ。早稲田大学卒業後、シェル石油、日本コカ・コーラ、ジョンソン・エンド・ジョンソン、フィリップスを含むグローバル・エクセレント・カンパニー6社で40数年にわたり社長職を3社、副社長職を1社経験。2003年より住友商事を含む数社のアドバイザリー・ボードメンバーを務める。長年の経験と実績をベースに経営者、経営幹部を対象に経営とリーダーシップに関する講演・セミナーを通じて国内外で「リーダー人財開発」の使命に取り組んでいる。また“エグゼクティブ・メンター”として経営者・経営者グループに対する経営指導・相談の役割を果たしている。実質的内容の希薄な虚論や空論とは異なり、実際に役に立つ“実論“の提唱を眼目とした、独特の経営論・リーダーシップ論には定評がある。著書・CD教材多数。近著『伝説の外資トップが説く リーダーの教科書』(ランダムハウス講談社刊)は、悩み多き部課長だけでなく、現役経営者、これからリーダーになる若手ビジネスマンの間でも話題。
■CEOへの道は、エグゼクティブ向けの人材会社・リクルートエグゼクティブエージェント主催のセミナー「Road to CEO」との連動企画です。
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