■CEOへの道は、職業としての”社長”を選び、第一線で活躍するプロによるトークセッション。将来、経営層を目指すオーディエンスに、自らの経験とノウハウを語る。
--いきなりお年の話で恐縮ですが、現在72歳、非常にお若く元気でいらっしゃいますね。新さんは1959年(昭和34年)に早稲田大学を卒業され、シェル石油へ入社されました。当時、外資系企業へ入ることは珍しかったと思いますが、なぜシェル石油を選ばれたのでしょうか。
そもそも小学生の頃から英語が好きで、海外で働きたいという気持ちがありました。「大きくなったら世界で活躍する人になって」と姉にそそのかされ、小学校3年生くらいから“グローバリスト”になりたいと思っていたんです。世界で欧米人を相手に活躍するためには、英語が必要だと子どもながらに考えました。姉に英語を教わり、中学1、2年生の頃には不自由なく日常英会話ができるようになっていましたね。
実際、就職先として外資系企業に決めた理由は、年齢に関係なく実力と会社への貢献度で処遇される環境を望んでいたからです。大学生だった当時の日本企業は、“アホ”でも50代になれば部長に昇進でき、どんなに実績を作っても30代でせいぜい主任という年功序列の時代でした。いい悪いの問題ではなく、年齢で決まる社会は私の価値観に合わなかったのです。“まともな日本の大学を出ながらなぜ外資に身を売るのか”という空気が世の中にありましたが、やりたいことをやりたかったので後悔していません。
--シェル石油に10年在籍した後、日本コカ・コーラに移られました。
シェル石油から日本コカ・コーラに転職した先輩が、「面白い会社だから一緒にやらないか。社長に紹介するよ」と誘ってくれたのがきっかけです。当時のシェル石油は、ガソリンスタンドの数や製油所のキャパシティなど、すべてが通産省の指導下にありました。限られた投資額の中で利益を最大化することが求められていたので、暴れるチャンスがなかったんですね。
一方、日本コカ・コーラは市場占有率が95%と破竹の勢い。暴れる舞台としては比較にならないほど面白いだろうと思ったのが決め手でした。
--シェル石油から引き留められたのではないでしょうか。
「副社長に昇進、3割昇給、ロンドン2カ月研修」という3つの条件付きで慰留されました。それだけの投資価値があるならもっと早く言ってくれと腹が立ち、ますます会社にいるのが嫌になりましたね。今思うともったいなかったかな(笑)。