SMAPの騒動は、なぜここまで大きくなったか 「大きな存在だった」と認識させた3つの理由

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また、SMAPは「グループのメンバー全員に脚光が当たる」という意味でもパイオニアでした。それまでのグループは、「センターと2~3番手だけで、ほかのメンバーはクローズアップされない」のが当たり前でしたが、SMAPの活躍以降は流れが一変。メンバー全員が日本中の人々に顔と名前を覚えられ、大物芸能人ともサシで渡り合えるグループが増えました。

“オリジナルの強み”と“パイオニアへのリスペクト”、そして「メンバー全員に脚光が当たる」という意味でわかりやすいのは、『日清カップヌードル』。カップ麺のオリジナル&パイオニアとして存在そのものが親しまれていますし、『カレー』『シーフード』『チリトマト』など同じシリーズの商品も同様です。SMAPのほかにも多くのグループがあるのと同じように、カップ麺にも多くの商品がありますが、『日清カップヌードル』は「なくなってしまったら寂しい」と思う最たるものではないでしょうか。

つらい過去を乗り越えた人への支持

多くの人が「SMAPは思っていた以上に大きな存在だった」と感じた2つ目の理由は、彼らの苦しい時代とつらい過去にあります。

SMAPは1980年代後半に大ブレイクした先輩グループ「光GENJI」の後継として期待されたものの、1989年に『ザ・ベストテン』(TBS系)が、1990年に『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)と『歌のトップテン』(日本テレビ系)が終了するなど歌番組が激減し、アイドルとして活躍する場がなくなってしまいました。

そんな厳しい状況の中、SMAPは1991年にCDデビューを果たすのですが、想像を上回る大苦戦。1991年9月のデビュー曲から11枚目まではチャート10位以内に入るのがやっとで、1994年3月リリースの『Hey Hey おおきに毎度あり』まで1位を取ることができませんでした。「シブがき隊」「男闘呼組」「光GENJI」ら先輩グループと比べても、デビュー数年の活動は、「ジャニーズのグループとしては極めて物足りない」とされていたのです。

その後、『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)をきっかけにバラエティ番組への進出で認知度を上げ、それぞれがドラマ主演を飾り、司会業に挑むなどスターに登り詰めましたが、その間にも森且行さんの脱退、木村拓哉さんの電撃結婚、稲垣吾郎さんと草彅剛さんの不祥事など、グループの存続が揺らぎかねない苦難に見舞われてきました。多くの人々は、彼らのそんな苦しくつらい時期を鮮明に覚えています。

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