夜行列車の終点、「大垣」が築いた独自の存在感

知名度は高いが下車した旅人は多くない?

大垣の発展は、住民たちの高い意識にも支えられていた。

大垣市は岐阜県西部の拠点都市だが、岐阜県の県都は言うまでもなく岐阜市だ。県の政治・経済・文化の中心地を自任する岐阜市は、近年は名古屋圏の影響を強く受けている。岐阜市から名古屋へは電車で30分前後。そうした地理的な面から通勤者も多く、名古屋のベッドタウンという趣を濃くしている。

大垣は名古屋の影響を受けながらも、岐阜市とは異なる独自の経済圏・文化圏を築いている。大垣経済圏の特徴を象徴的に表しているのが、地元の地銀・大垣共立銀行の存在だ。

大垣共立銀行の前身である百二十九銀行は、旧大垣藩の士族が資金を出し合って設立。当時、各銀行には紙幣を発行できる権限が与えられていた。1882年に中央銀行の日本銀行が設立されると、ほかの銀行は紙幣が発行できなくなる。

その時点で、乱立していた各地の銀行は営業を停止。しかし、百二十九銀行は大垣共立銀行として生き残った。地銀としては珍しい先駆的な取り組みを次々と繰り出す大垣共立銀行は、業界から一目置かれる地元の盟主でもある。

新幹線駅を逃し独自の発展

独自の発展を遂げ、戦後も鉄道の要衝として存在感を示してきた大垣だったが、高度経済成長期に大きく揺らぐ事態が持ち上がる。

1964年、東海道新幹線が開業。岐阜県内の新幹線駅は、岐阜市でも大垣市でもなく羽島市に設置された。田んぼの中にポツンと誕生した新幹線駅は、岐阜県の政財界から困惑する声も聞かれるほど辺鄙な場所にあった。

国家事業でもある新幹線の計画を、地方自治体の力で変更させることは難しい。そのため、岐阜県や沿線の市町村、名古屋鉄道、近畿日本鉄道といった鉄道事業者が一丸となり岐阜羽島駅までの足を確保することが検討された。

2009年に完成した新しい南北自由通路。北口には、水都ブリッジと名付けられたデッキもある(筆者撮影)

名鉄はモノレールによるアクセスを検討したが、1982年に羽島線を新規開業させることで落着。近鉄は大垣駅と岐阜羽島駅とを結ぶ新路線構想を温めていたが、実現しなかった。こうして新幹線駅を逃し、新幹線駅へのアクセス路線も未完に終わった。これにより、大垣市はますます独自の経済圏・文化圏を築くことになる。

長らく行政・鉄道の懸案事項だった大垣駅の北口再開発は、市町村合併の混乱から開発方針が定まらなかった。そのため、長期間の停滞を余儀なくされたが、混乱が収まると、北口には大規模ショッピングセンターや病院が新たに開設された。地域振興の新たな核として期待を一身に背負う。

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