ゴルフ世界一「ジョーダン・スピース」物語

7歳のとき遭遇した衝撃的な出来事

「楽しいゴルフがいっぱいできれば、それこそがホリデー。それこそがパラダイスだ」

ゴルフクラブを握ったまま、夜も眠らないスピースは、まさに不夜城のごとし。そんなパワフルな「城」がここまで出来上がった経緯を、あらためて振り返ってみよう。

ミケルソンと妹エリー

1993年7月27日。スピースはテキサス州ダラスのスポーツ一家の長男として誕生した。父親は野球選手、母親はバスケットボールとホッケーの選手だった。だが、コンピュータソフト関連の仕事に従事していた父親は大のゴルフ好きだったため、スピースとその後に生まれたスピースの弟もゴルフをするようになり、父親は機会あるごとに2人の息子をゴルフ観戦に連れていった。

スピースが衝撃的な2つの出来事に遭遇したのは、彼が7歳のときだった。

ダラスで開かれる米ツアーの大会、バイロン・ネルソン選手権の観戦に行ったスピース父子3人は、パー3の2番のグリーン奥の芝の上に座っていた。すると、フィル・ミケルソンのティショットがグリーンをオーバーしてスピースのすぐそばに飛んできた。

「ショットの邪魔になるなら息子たちをどかしましょうか?」と父親が尋ねると、ミケルソンはスピース少年に「じっとしていられるかい?」。スピースが「イエス」と答えると、ミケルソンは「それなら、そのまま座っていていいよ」と言い、スピースの至近距離から見事に寄せてパーセーブ。ミケルソンは再びスピースに近寄ってきて「じっとしていてくれて、ありがとう」と言ったそうだ。

「ジョーダンは、まるで雷に打たれたような顔をしていた」と父親が振り返ったこの出来事こそが、スピースをプロゴルファーへ、スタープレーヤーへ、世界一へと駆り立てる発端になった。

この年、スピースが受けた衝撃は、もうひとつあった。妹エリーが誕生。しかし、神経に障害が見つかった妹は、スピースが待っていた家にはなかなか来れず、生後1カ月以上も病院の保育器の中に留まっていた。父親に連れられて、毎日のように病院に通ったスピースは、保育器の中で眠るエリーを眺めながら、こう心に誓ったそうだ。

「僕がエリーを守る」

それからというもの、スピースは1人黙々とゴルフの練習をするようになった。近所の子どもたちが親の送迎で映画館やプールに行く姿をはた目に、スピースは日が暮れるまで、ときには日が暮れたあとでもゴルフコースに残り、ゴルフボールとともに過ごした。

「ジョーダンは私や妻の手をなるべく煩わせないようにしようとしてくれていた」

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