ジャカルタ「日本製電車」地元ファン熱狂の引退劇 元東急や東京メトロ車両など、今や「郷愁」の対象に
一方、引退記念イベントの開会式典があった11日の夜には、東急8000系、8500系譲渡に携わった日本・インドネシア両国の関係者によるささやかな同窓会が開催され、車両譲渡の初期から関わってきた東急グループの関係者やKAI、KCIの関係者ら十数人が出席した。
8500系の運行終了に伴い、東急とKCIの間の交流は25年7月を最後に絶えていた。およそ20年前、KAIやKCIで東急の中古車両受け入れに活躍していたメンバーは、今やMRT(地下鉄)や高速鉄道、新首都のヌサンタラ開発にまで活躍の場を移している一方、すでに鬼籍に入った人もいる。
「最初の車両譲渡から20年、そして、この機会に会っておかないと二度と会うことができないかもしれないからと思い立った」と、東急建設の現地パートナーとして、日本とインドネシアの架け橋として奔走していたシルフィア・ウィジャヤ氏はこの同窓会企画の経緯を説明する。
しかし、日程がちょうど引退記念イベントの開会日と重なったのは、本当に偶然だったという。何か運命的なものを感じずにはいられない。
鉄道ファンの数は「豊かになった証拠」
「たまたま午前中の予定も空いていて、開会式典に出席できた」という東急国際事業部フェローの太田雅文氏は、引退記念イベントの会場に詰めかけた鉄道ファンのあまりの多さに驚きを隠せない様子だった。
太田氏は8000系・8500系のインドネシア譲渡に最初期から関わってきた。当時はまだ電車の屋根上にまで乗客が鈴なりになっていた時代だ。大勢の鉄道ファンの姿に、「これも国が豊かになった証拠ではないか」と同氏は続ける。それほどまでに、この20年間でインドネシアは目覚ましい発展を遂げた。
今や、ジャカルタ中心部のドゥクアタス駅では人々がコミューターラインからMRTにどっと乗り換えるようになり、その動線上には決して単価の安くないコーヒーショップが立ち並んでいる。日本から渡った中古車両たちは、経済発展と共に急増する通勤需要を支えただけではなく、新たな都市文化をも育んできた。


















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