そしてリベラルがいなくなった… 中道改革連合が陥った「候補者名より政党名」戦略のワナ、野党を飲み込んだ《時代の独特な空気》の正体
同日深夜には、野田佳彦共同代表と斉藤鉄夫共同代表が並んで会見を開いた。斉藤氏は「それぞれの党の強みを最大限に生かすという形で作戦を練ったが、小選挙区での大変厳しい状況は忸怩(じくじ)たる思いだ」と述べ、野田氏は「最終盤には時代の独特の空気に覆い尽くされてしまった。それが与党の戦略なら、してやられた」と吐露している。
確かに、終盤戦で選挙応援に立つ野田氏の表情は暗かった。時には演説する斉藤氏の横に立ちながら、心ここにあらずという様子を見せたこともあった。
取材現場で感じた「2つの違和感」
原因は各世論調査の数字だろう。例えば、朝日新聞は1月31日と2月1日の中盤調査で「自維300議席超をうかがう」と自民党の躍進を報道。毎日新聞も2月3日から5日の調査で「(自民党は)序盤調査からさらに勢いを増し、単独過半数を大きく上回り、300議席を超える勢い」と報じている。
一方で1月31日に「公明重点区」が出されるなど、中道改革連合の応援体制も急速に整えられた。公明党出身の幹部が応援に駆けつけ、熱気のこもった演説を行った。
それでも消えない違和感があった。「数字はウソをつかない」ということだ。
同じような現象を、自民党が大勝した2005年の郵政選挙で体験した。自民党優勢の数字が次々と入ってきたが、体感した印象とはかけ離れていた。このとき自民党が獲得した議席数は296だったが、今回はさらに20議席も多い。しかも定数は当時より15議席少ないうえ、自民党は比例名簿で候補が足りず、14議席を他党に譲っている。
民主党政権が実現した09年の政権交代選挙も、同じような現象を体験した。世論の動向から自民党は勢力を減じることは確信していたが、下野に至るとは思いもしなかった。
さらにいえば、新党の党名の浸透を図ろうとするあまりに、中道改革連合は比例区に重点を置きすぎた印象がある。
激戦区の1つとなった東京24区。2月6日夜にJR八王子駅前で中道改革連合のYouth街頭演説会が行われた。細貝悠候補のために枝野幸男元立憲民主党代表や山口元公明党代表などが駆けつけ、ともに街宣車の上に立って熱弁を披露した。ある創価学会員は「この選挙区は負けられない」と語った。
自民党の萩生田光一幹事長代行は18年から22年までの5年間で、2728万円の「裏金」が発覚。さらに22年の参院選では、自民党から東京都選挙区に出馬した生稲晃子氏を統一教会の施設に案内していたことも判明した。


















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