ランボルギーニ「重くなる社会的責任」への対応とは? 製造部門の最高責任者ニッコリ氏に聞いた過去・現在・未来

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「私たちは温室効果ガス削減の取り組みを09年に始め、14年にカーボンニュートラルを達成しました。そこから10年を超えました」

1968年にボローニャで生まれたニッコリ氏は言う。

ニッコリ氏は08年からランボルギーニで生産、物流、生産技術、インフラの責任者を務める人物(写真:Automobili Lamborghini)

ローマで修士課程を終えたあと、フィアットに就職。トリノのミラフィオリ工場で主要なポジションに就くなどしたあと、18年にランボルギーニに転職した。

規模拡大とともに重くなる社会的責任

ランボルギーニは62年にボローニャ近郊で創業。当初はほぼ手作りのように生産され、65年の年産台数は67台。

当時のスポーツカーは、車体の塗料もラッカー系といって有機溶剤を使っていた。排ガス浄化装置もなし。パワーと引き換えに、窒素化合物をまき散らしていた。

70年に「クンタッチ」が生産されていたころはほとんど手作くり的な製造だった(写真:Automobili Lamborghini)

ランボルギーニも、環境適合性は低かった。でも年産67台なら環境へのインパクトはさほど大きくない。

その後、販売台数は伸び、71年には425台へ飛躍。途中で不況の影響などを受けたものの、00年代には2000台を超えた。

SUV「ウルス」が18年に発売され、セールスに大きく寄与。25年のランボルギーニの販売台数は1万0747台に達した。

そうなれば当然、社会的責任は大きくなる。ニッコリ氏が言うカーボンニュートラル化への取り組みは、台数の伸びを見越したランボルギーニ社の活動だったのだ。

10年代に入ってすぐ、同社はサンタガタの敷地内に「ランボルギーニパーク」を開設。オークの植樹と、加えて、養蜂。

公園としても開放されているランボルギーニパークでは養蜂も行われている(写真:Automobili Lamborghini)

「サステナビリティと、その土地の生態系(に企業活動が与える影響)の調査。CO2削減も同時に目指すもの」

ランボルギーニが属するアウディグループでは、上記のように説明している。同時に公園として公開され、その意味でも地域への貢献度は高い。

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