現役脚本家が証言「『果てしなきスカーレット』は脚本作りの"反面教師"になった」…《アニー賞ノミネート》も謎?プロを驚かせた「拙さ」の正体

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

改めて『果てしなきスカーレット』の口コミを見ると、ストーリーや展開に対し疑問を抱いた人がとても多いことがわかる。作中でその疑問が解消されることがほとんどなく、不完全燃焼感を持つ人が少なくないようだ。

一方で、「何を伝えたかったのか」はとても理解できたというコメントが目立つ。なぜか。本作では、台詞で場面の状況やキャラクターの心情や心の移り変わりを説明し続けていたからだ。

ただし、これが高評価につながるわけではない。アニメ、舞台などで活動する脚本家B氏は次のように指摘する。

「そもそもの話ですが、映画やアニメなどの脚本では、基本的には話し言葉を削るのが暗黙の了解。『キャラクターに喋らせずに心情を理解させる』『行動で見せる』ことが良いとされています。

だからこそ、自分の周りでは『もしスカーレットを脚本のコンクールに出したならば、真っ先に落とされるのではないか』と言われたりしていますね」

冒頭の導入時点で、すでに観客が置き去りに

さらにB氏は、「『果てしなきスカーレット』は、冒頭の導入時点で観客を置き去りにしている」と指摘する。

本作の冒頭では、とある老婆がスカーレットがいる死者の国について説明するシーンがある。にもかかわらず、死者の国という世界観にはあらゆる疑問がつきまとう。実際、本作の口コミを見てみると以下のようなコメントが目立っていた。

「死者の国に、スカーレットの時代の人ばかりがいるのはなぜ?」

「死者の国なのにどうして飲食が必要なの?」

「既に死んでるはずなのに、懸命に生きようとする理由は?」

「もう死んでるのに復讐する意味あるの?」

B氏いわく、作中で感じた疑問が解消されない時点で、観客が物語に入り込めなくなるという。さらに「どういうことを見て」「どう感じたらいいのか」が整備できていないので、ただただ観客を置き去りにしてしまっているのだ。

映画を見てくれる人に向けて作品を作っている以上、脚本家は観客の気持ちを置き去りにしてまで物語を紡ぐことはしないという。たしかに、作中で「死者の国」という死んだ人々が生きる地獄のような場所が舞台である理由を伝えてはいた。のだが、そのメッセージの伝え方については、筆者が話を聞いた前述のA氏も「うまいとは言えない」と指摘する。

次ページ描こうとしているテーマ自体は明確
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事