「暴行動画がSNSにアップ」→「どうせ無視でしょ…え、もう謝罪したの!?」 大分市中学いじめ「市教委の爆速対応」も"安易に喜べぬ"ワケ
もちろん、情報リテラシーの感度は、年齢だけを基準にできない部分はある。会社を定年退職してから、YouTubeでオススメされる“陰謀論”の動画ばかりを見るようになり、偏った思想を持つようになった……といった「祖父母世代の変化」が話題になる機会も多々ある。
とは言っても、やはり子どもの方が純粋である。だからこそ、より吸収が早く、良い情報にも、悪い情報にも、すぐさま順応してしまう可能性がある。その点、義務教育課程であれば、日々繰り返して教えられる環境が整っている。
日常生活において、どう情報と向き合うか。これは現代社会を生き抜く上で、欠かせないスキルとなっている。まさに「タブレット端末を自衛策に用いる」ことは、それが生かされた例と言えるだろうが、だからこそ「そこに潜むリスク」についても、あわせて当事者である子どもたちが考えないといけないのだ。
「撮影・共有した第三者」の存在
ここでSNS上での「いじめ告発」に立ち返る。昨今の事案は「インフルエンサーが可視化した」と表現され、彼らを称賛する声も少なくない。当事者である児童や生徒たちのみならず、大人たちからも、その存在を好意的に受け止める反応が絶えない。
しかし、もっとも重要な人物は、インフルエンサーではなく、「撮影・共有した第三者」ではないか。被害者への加害が行われる様子を事前に予期し、かつ確実な証拠としてのクオリティーを保ちながら記録。そして、インフルエンサーと共有する。
1人ですべてをまかなったのか、複数人によるものかは不明ながら、これらの人物の存在なくして、SNSでの告発はあり得ない。しかしながら、加害者と被害者、インフルエンサー、そして学校や教育委員会などの教育現場については言及されるものの、こうした「記録した人々」に対して考える機会は、あまり少ないように感じるのだ。
現場を収めた動画は、被害者自身がカメラを持って、撮影したものではない。となれば、被害者から要請を受けた(加害者から目を付けられるおそれがない、もしくはそのリスクを負ってでも動いた)人物か、加害者サイドにいながらも内部告発した人物による撮影である可能性が、それなりに高いだろうと考えられる。
誰が、どのような動機で、どんな流れで撮影したのか。そこにも目を向けない限り、全貌をつかむことは難しい。


















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