――『満州、少国民の戦記』を著したのはなぜ、当時から40年近く経った後の1984年だったのでしょうか。
私が安東という町で送った難民生活を振り返るために、休みを使って安東に2回訪問したのですが、中国国内を自由に歩き回って調べて書くことが、ようやく許されたころでした。後になってもっと厳しくなった時代もありますから、端境期のようだったと思うんです。そういう意味ではラッキーだったというか。
ある1つの世界を描くには、現場に実際に行って自分で確かめることが原点です。自分の記憶は曖昧だったので、まず一番知っている父に話を聞き、父から誰に聞けばいいのかアドバイスをもらって話を聞いて回り、そして問題意識をもって当時の場所をめぐりました。
――それまでお父様から話を聞く機会はあったのですか。
父のほうから昔のことを話すことはなかったです。満州から引き揚げた人はそれぞれ厳しい体験を持っているけれど、人に話すことも、身内の同じ体験者同士で話す機会も日常生活の中ではないものです。
小さな男の子が見ていた闇の世界
――満州での経験を書こうと思ったきっかけは。
満州の本の前に、肝炎での入院生活をつづった『聖母病院の友人たち』という本を1982年に出していました。週1回のコラム(時事通信社『金融財政ビジネス』で長年連載)で書いたら読者の関心が高く、記者仲間の勉強会のリーダーだった粕谷一希さん(元中央公論編集長)に本にまとめてみないかと勧められたからです。
日本エッセイストクラブ賞を受賞して、よかったと思っていたら、粕谷さんが今度は「君には病院の入院体験だけじゃなくて、日本が戦争に負けたとき敗戦国民として満州で過ごしたという得がたい経験がある。小さな男の子が闇の世界をどう見ていたのか、一冊の本に書けばどうか」と。
40代になってふと少年時代を振り返ると、自分でもおそろしい、と思いました。



















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