「支持率下げてやる」発言に「オフレコ談話を報道」まで…メディアによる"高市下げ"加速も、変わらず高い支持率を維持する《納得の理由》

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日本では、とりわけ2019年以降、「庶民」対「エリート」という構図が政治の場において力を持つようになり、新たな国政政党の誕生もしくは台頭として結実していった。その中でも、ポピュリズム的な運動の最適化によって躍進を遂げたのは、国民民主党であった。

「対決より解決」が志向され、それが現実主義的な党というブランディングの要素にもなった。敵対的な言動は控え目だったが、それでも「腐敗したエリート」側として「財務省」「既成政党」「マスコミ」などが支持者の意識に上った。いわば「解決」を阻む抵抗勢力だ。

高市氏は、与党でありながらこの変化にいち早く気付いており、政策の方針として国民民主党の「あなたの声が政策に!」的なスタンスを受け入れ、「ガソリン減税」「年収の壁」などといった具体的な制度改正につなげた。

また、外交面では日本の存在感を取り戻す積極性、人柄の面では被災地への訪問などで国民目線で寄り添う姿を見せるなど、固定的な支持層を超えて人々の支持を集めるためのアピールにも成功している。

高市内閣の高支持率を可能にしているこの「超ポピュリズム」戦略にも、当然ながら「腐敗したエリート」像は引き継がれており、それはまさしく現在「腐敗したマスコミ」として表象されている。

熱烈な支持者にとっては、「汚れなき人民」の立場に立ち、減税や対中国政策でリーダーシップを発揮している高市氏をその座から引きずり降ろそうとしている連中に映るわけだ。新聞やテレビを揶揄するときに使われることもある「オールドメディア」という言葉には、旧体制にしがみつき、一般国民を軽視する既得権益層という含みがある。

政治学者のヤシャ・モンクは、「今日のポピュリストたちは、かつての極右運動が目指したように、民主主義を超えるヒエラルキカルな政治システムの創立を目指すというよりも、我々が持っている民主的要素をより強化すると主張している」と言ったが、これは正攻法で民意とのシンクロ率を高めることと言い換えられるだろう(『民主主義を救え!』吉田徹訳、岩波書店)。

実のところ、NNNと読売新聞が12月19日~21日に行った世論調査で、高市内閣の支持率は先月からほぼ横ばいの73%と依然高い支持率を維持している。「失われた30年」で疲弊した多くの人々は、物価高対策への不満が蓄積し、テコでも動かない政治への反動で爆発寸前になっている。そのため、より広範囲でポピュリズム的な動きが出現しつつあるといえる。

日本の新型ポピュリズムはどこへ向かうのか

長年にわたる経済的な停滞と国力の衰退に伴う自信喪失が、現状を打破してくれる強力な指導者を求める潜在的な要因になっているのは確かだ。急伸したポピュリズム政党である国民民主党と参政党、つまり「対決より解決」(=実利的な経済政策の促進)と「日本人ファースト」(=ナショナリズムの再起動)のニーズの正体がここにある。高市氏はそれをうまく掬い取ったのである。

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今回の「核保有」発言騒動は、抵抗勢力からの攻撃と認識され、かえって高市内閣の支持層の結束を強めることになるだろう。

もちろん、マスコミが結託して高市内閣の転覆を謀っているというのは陰謀論の域を出ない。けれども、国民から圧倒的に支持されている内閣がマスコミの集中砲火を浴びているという事実だけで十分なのだ。

ポピュリズムの興隆の真因は、多数の人々が既存の政治が自分たちの存在を蔑ろにしていると感じていることにある。それゆえ、そのような状況に加担している抵抗勢力を排除することが必要だと信じずにはいられなくなるのだ。

しかしながら、それが吉と出るか凶と出るかは分からない。今のところ順調なスタートを切ったように思える日本の新型ポピュリズムがいかに危ういバランスの上に成り立っているのか。善かれ悪しかれその一端が次第に見えてくるのだろう。

【もっと読む】中国外務省「日本への渡航を控えて」→高市内閣の支持率はとくに下がらず…なぜ日本国民がこれほど「高市内閣」を応援するのか で高市内閣の人気の背景を、批評家の真鍋厚さんが詳しく解説している。
真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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