「EF64形」勾配路線の主力だった電気機関車の軌跡 中央本線や上越線などで活躍、国鉄生まれの「山男」
0番台が最初に投入されたのは、現在は山形新幹線が走る奥羽本線の板谷峠越え(福島―米沢間)で、同区間は当時は直流電化だった。急行列車や貨物列車を牽引したほか、キハ82系気動車の特急「つばさ」「やまばと」の補助機関車としても活躍した。
ただ、同線は1968年に交流電化されたためここでの活躍は短く、その後は活躍の場を中央本線(中央東線)に移した。増備車も甲府機関区や長野運転所などに配置され、中央本線や篠ノ井線が活躍の舞台となった。EF64形といえば中央本線のイメージが強い。
筆者はこの時代、中央東線で甲府機関区に配属されたばかりの0番台増備車の美しい姿を撮影している。まだSLのC56形が小海線で活躍し、小淵沢駅に発着している時代だった。
中央本線を舞台に大活躍
EF64形は電化区間の拡大とともに運用を広げた。現在もEF64形が細々と活躍を続ける中央西線はかつてD51形蒸気機関車が迫力の重連で貨物列車や旅客列車を牽引していたが、1973年の全線電化によって名古屋方面から篠ノ井線までEF64形が走るようになった。
中央本線は西線・東線ともにEF64形の大きな活躍の舞台であり、木曽谷の分水嶺にあたる中央西線の鳥居峠や、中央東線の小仏峠、笹子峠、塩尻峠といった峠越え、そして接続する篠ノ井線の「姨捨越え」の難所も重連で豪快な走りを見せていた。



















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