中高生の「制服代」が中1は約8000円、高1は約1万円上昇…授業料無償でも重い「教育費の家計負担」とどう向き合えばいい?
──子どもたちは制服についてどう思っているのでしょうか。
制服があったほうが楽だと思う子は多いです。とくに近年は「制服は校則で細かく決められているほうが生徒間の差も生まれず、いじめられないのでよい」と考える子も多いです。学校側が「校則を緩くしてもいい」と言っても、生徒側が厳しいルールを望むことも少なくないようです。
制服による拘束力を生徒が受け入れている土壌があるため、例えばいまだに「暑くても冬服を着なければならない、寒くてもスカートの下にジャージをはいてはいけない」といったルールの学校もあります。“暑い、寒い”すら言える自由がない制服指導が当たり前のように行われている学校では、子どもたちの間にも相互監視するような空気が生まれてしまっています。
しかし、そうした空気に乗れない子もいます。経済的に制服購入が負担となっている家庭の子は制服支持派の感覚になじめないでしょうし、制服が身体的に合わない子もいます。例えば、アトピーの子は素材によっては着られないことがありますし、「学ランのカラーは首が締め付けられて苦しい」という子もいます。
また、学校に不適応を起こしている子どもにとって、制服は学校の象徴であり、いわば「学校に適応している子が着られる服」。適応できない自分を許せないという気持ちがある子は、「制服を着て学校に行かなければと思うけれど、袖を通しただけで涙が出てきて学校に行けなくなってしまう」と言います。そのほか、「校章のない靴下ならもっと安く買えるのに、なぜ指定品でなければいけないのか」と、理論的に反発している子もいます。
制服無償化は、こうした子どもたちの「着ない自由」を奪うことになります。制服には費用負担だけではない、生徒1人ひとりの権利・人格にもかかわる問題もあるのです。
「標準服」と「私服」、どちらも選べるように
──こうした制服の問題を解消するには、どうすればよいでしょうか。
人間には「自分は制服(私服)が着たいからみんなにも着てほしい」「周りと同じ服装でなければいじめられる」といった多数派でいたい心理や不安があるから、制服か私服かという二項対立の議論になりがちで、言われるがまま制服のアイテムをそろえてしまうといったことも起きるのでしょう。私も個人的には制服は好きですが、その思いは強制すべきではないと思います。
だから、制服と私服、2つの選択肢があるとよいと考えています。また、制服ではなく「標準服」や「推奨服」と呼び、強制ではないことを示すことも大切です。そんなふうに制服による拘束力を緩めるほうが、無償化に比べて全体の費用負担の軽減になりますし、子どもの自由の尊重にもつながるはずです。



















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