M-1挑戦終えた50歳市長、次の目標は"婚活と受験"。「政治家もキャリアブレイクが必要」と強調する真意とは? 太宰府市長・楠田大蔵氏を直撃
28歳で民主党候補として衆議院議員に初当選。3期務めて鳩山由紀夫内閣で防衛大臣政務官に任命された。しかし2014年以降3回連続で衆院選で落選する悲哀を味わった。
「落選中は政治家としての死に場所を探していた。国会議員の選挙で3回落ちたら普通退場ですよ。恥も外聞もなくして選挙に出続けてきた42歳の自分を、太宰府市民が拾ってくれた」
だから総決算という思いで太宰府市長をやってきた。
「精いっぱいやって、8年でいっぱいいっぱい。これ以上やるとマンネリ化するだろうし、50歳で余力を残して次に進みたい。M-1が最後に花を添えてくれた」
3回戦を直前で辞退したことは不完全燃焼ではないのか。来年はどうするのか。水を向けると「出ませんよ」と即答した。
「祭りに参加する気持ちだったのに、実際はストイックな戦いで楽しくなかった。高田課長の腕のおかげで2回戦まで出られて感謝しかないが、気軽に出るものではないとよく分かった」
芸人は売れるために賞レースに挑む。楠田氏は町おこしとして参戦した。その目標がなければ頑張れない。
来春からは学生に!
市長を辞めた後は、九州大学法科大学院に進む。取材した11月27日が合格発表日だった。
「50歳にして市長とM-1と法科大学院の試験を並行してやりきった」と充実感とも疲労ともつかない表情でつぶやいた。
法学部を卒業したが、受験自体が四半世紀ぶり。法科大学院の既習者コースは手も足も出ずに白紙で提出して途中で帰った。翌日の未修者コースは小論文勝負。「手を使って文章を書くのが久しぶりだったけど、死力を尽くして」合格を勝ち取った。
社会人生活のほとんどを政治家(浪人含む)として過ごした。キャリアブレイクして自分を見つめなおしたい。政治家以外の仕事にも挑戦したい。
政治家人生でやり残した結婚も諦めていない。
「20代で国会議員になったときはもてたんだけど。髪もあったし。当時は40歳までに結婚しようとのんびりしていたら、37歳で衆院選で落選して結婚しづらくなった」
42歳で太宰府市長になると、一層、結婚が遠のいた。
「“市長が婚活”というイメージが湧かないみたいで、紹介もされなくなった」
「政治家」から一度離れて、キャリアも婚活もフラットな状態で再挑戦したいという。
M-1回戦で知らない人から頭を叩かれても、気持ちの切り替えができた。50歳にして、ようやく「大人になった」という実感がある。
とはいえ「でも……」と続けた。
「叩かれたときにカチンと来たので、まだ修行が足りないのかもしれない。もっとフラットになれるように、ご指導よろしくお願いします」
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