悩んでコケて挑戦して 哲人経営者、最後の勝負(上) 小林喜光 三菱ケミカルホールディングス社長
小林喜光は生き急いでいる。意外なことを言う。
「僕は今までつねに、勝負をしてこなかった。死ぬ間際になって、そろそろ勝負をしなければいけないな。本当の勝負というやつを」
勝負をしてこなかった? ご謙遜でしょう。三菱ケミカルホールディングス(HD)の社長に就任して以来、小林は大勝負の連続である。
近くは今年4月、HD傘下の三菱化学、三菱樹脂、三菱レイヨンの3社長を総入れ替えしたトップ人事だ。業界内外が仰天した。
三菱レイヨンの新社長には、三菱化学で経営企画を担当してきた越智仁を起用。統合の裏方を務めた人物だが、レイヨンの祖業というべき繊維には触ったこともない。そしてレイヨン次期社長の本命とみられていたレイヨンの生え抜き、姥貝卓美を三菱樹脂の新トップに就任させた。
HDがレイヨンを経営統合してまだわずか2年。たっぷり時間をかけて融和を図るのが日本の一般的な統合スタイル。が、小林はあえて波風を立てたのである。「頭を替える。足し算ではなく、掛け算にするには、これしかないじゃないですか」。
28歳で中途入社。以来、研究畑一筋で来た小林は、47歳で本社の事業部門に転出するまで財務諸表も読めなかった。そんな小林が社長になったこと自体が“事件”だが、小林の行くところは事件続きだ。
誰も手をつけられなかった石油化学の不採算分野を片っ端から切って捨て、撤退した事業の年間売上高は約3000億円。のみならず、岡山の水島コンビナートでは、旭化成とエチレンセンターの運営統合をやってのけた。エチレンセンターこそ石油化学会社の戦略中枢であり聖域だ。そこに一直線に切り込んだ。