「壁や天井の至るところにビニールひもが吊るされ、そこにビニール袋が無数にくくりつけられていました。風呂場の浴槽の横に取り付けられた手すりにもびっしりと。ビニール袋の中にはきれいに洗われた弁当や総菜のトレーが入っていました。これだけ生活ゴミがあるのに異臭がまったくしない。不思議な現場でした」(二見氏、以下同)


片付けの作業は2回に分けて行われた。1回目に生活ゴミをすべて取り除き、3カ月後に残りの残置物を撤去する。その間、姉が現場に通い、1つひとつ仕分けていった。遺品整理をしながら弟の死と向き合うための時間を設けたのだ。
ただ、イーブイが片付けの様子を動画で配信すると、「10年間も音信不通の弟を放置していた姉も悪い」といった旨のコメントが多く寄せられた。亡くなってから後悔しているのでは遅い。後悔するくらいなら生前に連絡をとっておけばいい。
たしかに、そう言いたくなる気持ちはわからなくもない。
「10年間のうちに2人に何があったかなんて、第三者にはわからないじゃないですか。絶縁してしまったのかもしれないし、家族にしかわからない問題があったのかもしれません。そこに対して第三者がとやかく言うのは違うと思いませんか」
二見氏はそう異論を唱えた。
誰しもがゴミ屋敷になる可能性がある
二見氏が日々、ゴミ屋敷の片付けを行う中で痛感しているのは、人間の想像力の乏しさだ。それを非難しているわけではない。しかし、想像力の乏しさを自覚することは大切だ。そうすることによって、さまざまな問題の背後にある「その人なりの事情」について考えることができるようになるのだ。

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