大地震が発生したとき、避難に鉄道は使えるのか 「動かすべきだったのでは」と鉄道会社社長
ひたちなか海浜鉄道の吉田千秋社長は「列車の運行をやめたことで、阿字ヶ浦に遊びに来ていた乗客が勝田方面に帰れなくなるという事態が発生したことから、社内で本当に列車を止めてよかったのかという話がでた」という。湊線の場合は、海岸からいちばん近いところでも200m離れており標高も少々あることから「津波警報が発令されてすぐに運行を停止することが妥当だったのかという疑問が残った」といい、「場合によっては、海岸までの距離や津波の高さの予測なども考慮し、列車の運行取りやめを若干遅らせてもよかったのではないか」と当時の対応を振り返った。
そして、次回、同じような状況が発生した場合には、「津波到達時間や高さを考慮して運行計画を決定。即座にホームページや報道機関への情報提供により『何時から運行を停止する』といった告知を行い、現地での孤立をできる限り回避したい」という。
鉄道運休後の交通渋滞が深刻
各地で問題が表面化したクルマでの避難者による渋滞については、「東日本大震災のときに那珂湊では那珂川をはさんだ対岸の大洗と違って大きな津波被害がなかったことから地域住民の危機感が薄かったのか、正直、大きな渋滞や避難のあわただしさは感じられなかった」としており、東日本大震災のときには、むしろ鉄道が運休となった後の交通渋滞のほうが深刻だった。
吉田社長は、「東日本大震災では、ひたちなか海浜鉄道も大きな被害を受け4カ月にわたり運休することとなったが、このとき運行した列車代行バスでは、茨城県立那珂湊高校へ通学する生徒を乗せきることができずバスでの輸送力がパンク。バスに乗れない生徒は保護者がクルマで送り迎えすることになったが、余震が頻発する中でこの送り迎えの保護者のクルマで那珂湊の市街地で慢性的な渋滞を引き起こすことになった」といい、こうした中で、例えば津波警報の発令など「なにかあったら大変なことになると感じた」と当時の心境を教えてくれた。
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