廃止の危機もあった神戸「六甲山上への足」の現在 「まやビューライン」の摩耶ケーブルは開業100年
1995年の震災によって運休した際、このまま廃止になる可能性もあったが、地元の要望もあって「まやビューライン」として2001年に運行を再開した。
それからも乗客数の低迷などから、まやビューラインはケーブルカー、ロープウェーとも改めて廃止が検討された。その際に地元住民らで構成する「摩耶山再生の会」が中心になって、習い事やイベントなどの市民活動を摩耶山上で実施する部活ならぬ「マヤカツ」で需要を作り出したり、年間パス「MaSACa(マサカ)」の販売に乗り出したりと、住民の利用を増やして路線を維持してきた。
何度も廃止の危機を乗り越えて開業100年を迎えた摩耶ケーブル。開業100年のシンボルマークをデザインしたのは、摩耶山や六甲山を抱える神戸市灘区で、豊かな「灘ライフ」を創造する街あそびの達人としても知られる、デザイナーの慈憲一(うつみ・けんいち)さんだ。
夜景は震災復興の象徴
慈さんは3月20日に開いた摩耶ケーブル開業100年を記念した出発式で、自らデザインを解説。「数字の100の両側に描いたのはヒゲではなくて羽根。戦争、水害、震災と何度も廃止になりかけながらよみがえってきたので、不死鳥とされるフェニックスの羽根をイメージした」という。
背景のブルーは、ナガサワ文具センター(神戸市中央区)が展開する神戸市内各地をイメージした色のインク「Kobe INK 物語」から、摩耶山をイメージした色「摩耶ラピス」を採用。日本3大夜景の1つである掬星台からの夜景で、数々の明かりを浮かび上がらせる背景の色だ。
「今年は震災から30年ということで、震災後は真っ暗になった街にどんどん明かりが戻り、美しい夜景になった」と慈さんは振り返っていた。

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