廃止の危機もあった神戸「六甲山上への足」の現在 「まやビューライン」の摩耶ケーブルは開業100年

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

ただ、そうした阪神間の都市化とは少し異なる文脈で語らねばならないのが「まやビューライン」だ。1995年に発生した阪神・淡路大震災後、「摩耶ケーブル」「摩耶ロープウェー」をまとめて、まやビューラインと呼ぶようになった。

摩耶ケーブルは2025年に開業100年を迎えた。開業は有馬へと越える主要ルートの「六甲ケーブル」の開業(1932年)より7年も早い。一方、摩耶ロープウェーは今年で開業70年。なぜロープウェーができるまでに30年かかったのか。

六甲ケーブル、まやビューライン(摩耶ケーブル・摩耶ロープウェー)、六甲布引ロープウェイの地図

ケーブルは参詣鉄道だった

ケーブルカーのある場所といって思い出すのは人それぞれだろうが、けわしい山を登った先に多くの人が訪れる目的地がある場合に、建設されるのがケーブルカーだ。

典型的には京都の比叡山、和歌山の高野山、東京でいえば高尾山など、いわば寺社参詣が現代よりも観光の色合いを濃くしていた時代の名残で、参詣者を運ぶために建設されたケーブルカーは意外に多い。

摩耶ケーブルも比叡山、高野山などと同じころに建設された。つまり摩耶ケーブルは、かつて全国に聞こえた霊場「摩耶山天上寺」への参詣客を運ぶ鉄道だった。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事