SLから電車特急まで「北の大動脈」函館本線の記憶 ディーゼル機関車重連が牽く急行が「山線」を力走

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急行ニセコ DD51重連 小沢駅
函館本線の小沢駅を出発したDD51形ディーゼル機関車重連牽引の急行「ニセコ」(撮影:南正時)

北海道を代表する幹線、函館本線・函館―旭川間423.1kmの歴史は明治初期、1880年11月に官設の幌内鉄道によって手宮―札幌間が開通したことに始まる。現在の函館本線が全通したのは1905年のことである。

函館本線は函館―長万部間の非電化複線区間、長万部―小樽間の通称「山線」といわれる単線・急勾配区間、そして小樽―旭川間の電化複線区間があり、そこを走った列車の種類の多さには改めて驚いてしまう。筆者の函館本線への思いも含めて、その歴史を振り返ってみたい。

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SL現役時代の函館本線

筆者が初めて北海道の鉄道に接したのは1970年1月のことで、C62形蒸気機関車重連の急行「ニセコ」を見たくて弾丸旅行で倶知安まで行き、その発車のシーンをカメラに収めた。カラーフィルムで撮影した、たった1枚のC62形牽引「ニセコ」の姿だった。

【写真80枚超】雪景色の中を走るC62形やDD51形重連が先頭に立つ急行「ニセコ」の勇姿、雄大な自然の中を走るD52形の貨物列車、北海道初の電車特急だった「いしかり」、そしてディーゼル特急の数々…函館本線を駆け抜けた名列車たち

1972年の初夏にはワイド周遊券を駆使して本格的に道内の鉄道を撮り歩いたが、すでにC62形重連の急行「ニセコ」の姿はなかった。C62形は小樽―長万部間の普通列車に運用されていたが、スワローエンゼルといわれたC62形2号機は健在だった。

急行「ニセコ」はDD51形ディーゼル機関車重連の運用となった。当時DD51形はSLファンの嫌われ者だったが、筆者は客車が旧型客車のままだったこともありDD51形の「ニセコ」も積極的に撮影した。この時代の函館―小樽間は道内の優等列車がほぼ見られることもあり、筆者はすっかり「山線」の魅力に取りつかれてしまった。

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