SLから電車特急まで「北の大動脈」函館本線の記憶 ディーゼル機関車重連が牽く急行が「山線」を力走
函館から長万部までの区間は道内主要都市に向かう特急、急行が多く見られ、青函連絡船を降りて函館駅のホームへ向かうと各地へ向かう列車で満杯状態だった。
とくに釧路行きのキハ80系特急「おおぞら」の長大編成と、隣のホームに急行「宗谷」稚内行きが発車を待つ景観は見事だった。蒸気機関車ではD51形やマンモス機のD52形が旅客列車を牽引していたことが筆者の胸をときめかせた。


「山線」を走った特急・急行
特急の多くは長万部から室蘭線・千歳線を経由して各地に向かっていたが、山線にも1往復、キハ80系の「北海」が食堂車を従えた編成で運転されていた。それとともにD51形牽引の貨物列車やC62形が牽く旅客列車、そしてDD51形重連が牽引する客車列車と気動車の急行「ニセコ」が闊歩していた。それが当時の山線だった。

客車の急行「ニセコ」は1971年9月まではC62形蒸気機関車が牽引しており全国のSLファンの人気を集めたが、同年9月15日限りでDD51形の牽引に変わった。それでも客車はSL時代と同じ旧型客車を使用しており、DD51形も小樽―長万部間は重連による峠越えが見られた。
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