SLから電車特急まで「北の大動脈」函館本線の記憶 ディーゼル機関車重連が牽く急行が「山線」を力走
ここで、かつての急行「ニセコ」DD51形の同乗記録をご覧いただこう。
急行「ニセコ1号」函館行きは札幌を10時5分に発車する。札幌―小樽間は当時すでに電化されていたのでED76形電気機関車が牽引し、小樽からの「山線」をDD51形重連が担当した。本務機は小樽築港機関区、前補機は五稜郭機関区のDD51形が運用され、すべてA寒地装備を施していた。五稜郭区の前補機は、フロントラジエーター上に前照灯を一灯増灯した「三つ目」の機関車が担当することもあった。
小樽を10時45分に発車。行く手にはオタモイ峠への急勾配が待ち構えている。DD51形重連はエンジン音もけたたましく勾配を駆け上がる。車窓右にはオタモイ海岸の景観が望まれ、塩谷を通過して山線最初の停車駅、余市に停まる。

余市を発車すると稲穂峠、倶知安峠の山越えに入る。C62形牽引だった時代には多くのSLファンが集まった然別、銀山を通過すると小沢に到着する。かつてこの駅は岩内線の接続駅で賑わった駅である。

山越えに挑むDD51形重連「ニセコ」
しばしの休息後、DD51形はエンジンを吹かし倶知安峠にアタックする。連続カーブと勾配が続き峠のトンネルを越えると車窓に名峰「羊蹄山」が見えて倶知安到着である。
倶知安はかつて山線の蒸気機関車の集結場で9600形やD51形が駐留していた。ここで乗務員が交代して次の停車駅ニセコを目指す。その途中にはニセコ連山、羊蹄山が車窓風景を和ませてくれる。


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