
ミサイル攻撃で崩れ落ちたアパートの前に、茫然と立ち尽くす人々。ガザやウクライナをめぐる報道で目にしてきた光景が、今度はイスラエルの市街地で現実となった。
6月13日、イスラエルによる突然の空爆を受けたイランは、報復としてイスラエルの都市部を含む大規模な攻撃を実施。その後12日間続いた戦争で、イラン側では約1000人、イスラエル側では28人が犠牲となった。
予想されていたシナリオ
イスラエルによるイラン核施設への攻撃は国際社会に衝撃を与えたが、イスラエル国内では「いつか起こりうること」と予想されていたシナリオだった。
というのも、イスラエルは過去にもイラクやシリアの核開発施設を武力によって破壊するなど、近隣諸国による核保有を断固として許さない「ベギン・ドクトリン」を踏襲してきたからだ。ドクトリンの名は、1981年にイラクの原子炉を破壊したベギン首相に由来する。右派政党リクードの創設者でもあり、ネタニヤフ首相はその「孫弟子」ともいえる存在だ。
近年、イスラエル国内ではイランの核保有に対する危機感が一段と高まっていた。最大の要因は2018年、米国の第1次トランプ政権による、イラン核合意(JCPOA)からの一方的な離脱である。この離脱を後押ししたのは、ほかならぬネタニヤフ首相だった。
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