卒業ではなく除籍も「公職選挙法上は問題ない」と主張…《学歴詐称?》静岡県伊東市・田久保真紀市長の弁解が大問題である理由
これらの事例は、本人が意図していないにせよ、「改革か守旧か」の単純な対立構図で伝えられ、有権者もそう受け止めた。あくまでSNSや各社報道を読んでの印象だが、個人の素質や能力、そして政策を十分に評価する前に、「圧倒的不利」であることが、当選の原動力になっているように感じられてしまう。
一気に“アンチ化”する可能性
つまりは、近ごろの有権者は「候補者」でなく、「ストーリー」に投票しているということだ。思えば、2024年の“出直し”兵庫県知事選もそうだった。あれは反対に「現職の改革を止めるな」といった雰囲気によるものだったが、物語消費の構図としては似ている。
しかし、こうした“ジャイキリ型選挙”には、落とし穴もある。ストーリーに酔いしれ、「なんか良さそう」「変えてくれそう」といったフワッとした印象で投票してしまうと、ふとした瞬間に「なんか違う」となり、強烈な嫌悪感や失望を受ける。
つまり一気に“アンチ化”する可能性を秘めているのだ。言動が一貫していないように見える、今回の件などは、まさにその引き金を引きかねない。
そう考えると、個人をまるっと信任する「ストーリー重視の選挙」より、個別に判断できる「政策重視の選挙」のほうが、よりジャッジしやすい。聞こえの良い「街を変えよう」に身を委ねる前に、方法論である「どう変えるのか」をしっかり見極める。さもないと、誤った選択を招きかねない。
これは別に、候補者を批判しているわけではない。政治に挑む挑戦者は、誰しも尊敬されるべきだ。責めを負うべきは、わかりやすい“対立構図”を描き、単純化することでコンテンツとして消費する人々にある。なんとなくで判断した結果、しっぺ返しを食うのは自分自身であることを忘れてはいけない。
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