「北斗星」の機関車は、当初オレンジ色だった 「ブルトレ」を追い続けた写真家の回想
そこで、写真撮影のためにトンネル内で特別な許可をとり運転士に事前通告して撮ったものだ。諸事情から当時この写真が日の目を見ることはなかったが、北斗星もなくなり、時間の経過とともに今、発表しても差し支えないだろう。
ブルートレインが最も華やかな時代、それは「北斗星」以前の昭和50(1975)年代初頭であろう。全国各地にブルートレインが「夢」を運んでいた。多くの少年たちが、その雄姿にカメラを持ってブルートレインを追っていた。「あさかぜ」「富士」「さくら」などの切符は入手が困難で、その対策として「あさかぜ」は東京―下関間に増発列車を運転したほどだ。
この時代、私は「ケイブンシャの大百科」で鉄道シリーズを出版した。折からのブルトレブームで本が売れて、私は何度も同乗取材をした。時には読者の少年と「富士」や「あさかぜ」に乗った。
国鉄民営化の前後には「あさかぜ」の食堂車がリニューアルして欧風豪華仕様になり、シャワーも完備、ロビーカーも整った。ちょうどヨーロッパのオリエント急行がシベリアを経由して来日する案が持ち上がったころでもある。それに刺激されて豪華列車になったのだろう。
この「あさかぜ」の豪華さと「オリエント急行」のゆったりした旅は「北斗星」が受け継いだ。同列車は文字通り世界有数の豪華列車として誕生したわけだ。
ブルトレは一服のスローライフ
しかし、「北斗星」以来、他のブルートレインは新幹線や飛行機に乗客を奪われ、衰退の一途をたどっていった。食堂車は廃止され、採算の合わない列車は次々と消えていった。特に九州では、「富士・はやぶさ」が2009年に廃止され、伝統の九州ブルトレは姿を消した。
孤軍奮闘の「北斗星」の人気が続いたが、もともと寝台車は「中古品」。寄る年波には逆らえず、車両の老朽化という理由で今年の春に定期列車の運行が終了した。この北斗星の廃止によって日本のブルートレインの半世紀以上にわたる歴史に幕を閉じた。
私にとってブルートレインとはどのような存在だったのだろうか。 それは新幹線などの華やかな日本の鉄道の時代にあって一服のスローライフ、癒しの列車だった。
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