「排日移民法」と闘った外交官 一九二〇年代日本外交と駐米全権大使・埴原正直 チャオ埴原三鈴、中馬清福著 ~苦闘の体験から導かれる外交教訓
日米戦争はなぜ起こったか。日本の軍国主義の暴走、帝国主義による覇権争い、自由主義と全体主義の対決などが原因に挙げられるが、昭和天皇が敗戦直後、こんな見解を述べている。
「遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。……かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上つた時に、之を抑へることは容易な業ではない」(『昭和天皇独白録』)
第1次世界大戦後のパリ講和会議で、日本は人種差別撤廃案を唱導したが、英国や米国の強硬な反対で敗れた。その後、日本のワシントン会議参加や関東大震災での米国の日本支援などで日米協調体制が定着したかに見えた。だが、米国議会で人種差別を認める排日移民法が成立する。
本書は移民法阻止に奮闘した当時の埴原正直駐米大使の生涯を通して、「協調・友好」から「排日・嫌米」に至る日米関係の深層を克明に追跡・検証した労作である。埴原の末弟の孫に当たる研究者と、外交史に精通するジャーナリストの共著だ。