イット!はフジテレビによる「さよならテレビ」か 罪の重さを「系列同士」で吐き出しあっている

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びっくりして見ながら、私は「これに似た映像をどこかで見た気がする」と思った。思い出したのは、「さよならテレビ」だった。

フジテレビによる「さよならテレビ」

「さよならテレビ」は2018年に東海テレビで放送され、2020年には映画として劇場公開されたドキュメンタリーだ。同局は独特の魅力あふれるドキュメンタリー作品を制作してきており評価も高い。ただこの作品は、テレビ局そのものを対象として物議を醸した。私はテレビ版も映画版も見てことのほか気に入っているのだが、テレビ局の中には憮然として語る人も多い。テレビの内側を見せてしまっているからだ。

実際、最初のほうで企画の説明不足から局員が「なんでカメラ回してるんだよ」と感情的になる場面もある。作り手の良い意味での悪意と私は感じた。

「フジテレビの反省」4回目は、それと同じくらいふだん見せないものを見せている。まるで「さよならテレビ」だと私は感じた。系列局の手厳しい言葉、それに対するフジテレビ側の謝罪、通常は放送されるはずのないものだ。

ただしそこには悪意はない。あえて自分たちの厳しい言葉をぶつけ合う姿、言わば醜いケンカをさらしてしまおう。私たちはののしりあっています。不満をぶつけあっています。それが何になるのかもわからないし、視聴者に見せることが何になるのかもわからない。

ただ、このぶざまな姿をさらすことは、いまやるべきことの一つではないか。撮った側、映った側のそんな思いを私は勝手にくみ取っている。抽象的な言い方をしてしまうが、これは「さよならフジテレビ」なのだろうと思う。フジテレビがあのとき犯した罪の重さを、系列同士で吐き出しあっている。

フジテレビ報道の現場として、カメラを入れない決定をあのとき覆せなかった自らの罪を吐露している。それを系列局の人々が受け止め、その姿を私たちに見せている。そうやってフジテレビのダメな部分に、いやダメだらけのフジテレビに、さよならしようとしているのだ。現場が被害者だとは到底言えない。

バブルを引きずるダメな経営陣に何も言えてこなかった。系列局は、いまだに黄金時代から抜け出せないキー局に、結局甘えてやってきた。そのすべてについて「さよならフジテレビ」するのだと、きっとここにいる人々は考えているのではないかと思うのだ。

「イット!」は1月17日も「紙芝居会見」の直後に15分にわたってその中身を詳しく解説し、まるで自局の不祥事を「告発」しているようだった。私はスタッフ全員憤って、急きょ構成したのではと推測したが報道局の社員に聞くと「他局より先にきちんと伝えようと自然とああなっただけです」と淡々と答えた。

このときとも考え合わせると、「イット!」には「反省」シリーズを通じて新しいフジテレビを考えるターミナルになる可能性を感じる。視聴者と社内とをつなぎ、自分たちと系列局とも結ぶ交差点のような存在だ。そこから、過去のフジテレビにさよならするヒントが見えてくるかもしれない。もちろん、経営陣刷新が済めばの話だが。

境 治 メディアコンサルタント

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さかい おさむ / Osamu Sakai

1962年福岡市生まれ。東京大学文学部卒。I&S、フリーランス、ロボット、ビデオプロモーションなどを経て、2013年から再びフリーランス。エム・データ顧問研究員。有料マガジン「MediaBorder」発行人。著書に『拡張するテレビ』(宣伝会議)、『爆発的ヒットは“想い”から生まれる』(大和書房)など。

X(旧Twitter):@sakaiosamu

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