池田大作「専横」の起点になった山崎正友事件 極秘資料からたどる「創価学会」の黒歴史②

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以下、「第10章 シーホース」から引用する。

「離婚します。その日の生活にも困っている」
うな垂れる山崎に対し、同情したのだろう、池田は自分のぶ厚い財布を取り出すと、それごと気前よく手渡した。なかには四十万~五十万円もの札束が入っていた。それから二人が別れたのは午後五時十分のことだった。
面談終了間際、池田のお付きだった鈴木(琢郎第一庶務室長)は北条(会長)に急ぎ電話を入れた。
「山崎が新宿文化(会館)に来て池田先生にお会いして今、(在家信徒の役職である)大講頭の辞表を書きました。そのことを早速、猊下(げいか。僧侶への尊称)に報告して下さい」
その吉報を待ちわびていた北条はすぐに日顕のもとに参上した。
「悪い弁護士が今、大講頭をやめる辞表を書きました」
北条がそう告げると、日顕は頷いた。
「とうとう辞表を書きましたか、それはよかった」
池田が山崎と会ったのはこの日(=1980年3月2日)が最後だ。約束した支払いはまだ一千万円を残していたが、これで創価学会は長年の災いときっぱり縁が切れるはずだった。しかし、山崎が暴走を始めるのは、むしろこの後のことである。 

ついに刑事告訴に踏み切る

山崎の要求額は吊り上がる。3億円、5億円――。手に負えなくなった学会はついに1980年6月4日、山崎を恐喝の罪で刑事告訴することを決める。公判などで山崎による離間工作が次第に明らかになる中、池田は自身がどれほどだまされていたかを知る。

翌年7月に防壁を長年務めていた北条が急死し、さらに2年後の10月に後継者と思い定めていた二男・城久が早世すると、池田の横暴が目立つようになる。

幹部人事を弄び、宗門を足蹴にするような発言を繰り返した。それとともに学会内では不満分子が続出、もともとは融和派だった宗門の法主・日顕も警戒感を強めていくこととなる――。

(敬称略)

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高橋 篤史 ジャーナリスト

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たかはし あつし / Atsushi Takahashi

1968年生まれ。日刊工業新聞社、東洋経済新報社を経て2009年からフリーランスのジャーナリスト。著書に、新潮ドキュメント賞候補となった『凋落 木村剛と大島健伸』(東洋経済新報社)や『創価学会秘史』(講談社)などがある。

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