池田大作「専横」の起点になった山崎正友事件 極秘資料からたどる「創価学会」の黒歴史②
秋谷から車中で報告を受け、決心をした池田は翌日、熱海の「東海研修道場」で山崎をこう一喝することとなる。
「生活を正し、ちゃんと家に帰って勤行せよ。側近づらをするな。和道のようなチンピラとつき合うな。宗門問題から手を引け」
そして、池田は山崎に対し総務を辞任するよう勧告した。
が、日達に食い込んでいる山崎を、池田は再び宗門との交渉役に起用せざるをえなくなる。いったん沈静化した対立はすぐに激化した。
以下、「第9章 嵐の四・二四」から引用する。
そんななか、創価学会首脳部の間ではずっと引っ掛かっていた疑念が大きくなり始める。山崎の暗躍である。
九月三日、池田は秋谷、野崎勲とともに宗門問題を話し合った。この時、秋谷は連絡を密にしていた宗門の阿部から聞いた話を受け、池田にこう忠告している。
「今の動きは宗門の僧侶の考えることではありません。山崎です」
これに対し池田はその疑念を否定することなく、次のように返した。
「じゃあ切れるか。そこまで入っているのだったら使ってみるしかない」
諸刃の剣であることを承知の上で宗門対策に山崎を起用し続けようと、この時の池田は考えていた。
反学会の機運強まり会長を辞任
結局、池田は宗門内で燃え盛る一方の反学会機運に抗しきれず1979年4月に会長を辞任、名誉会長へと退いた。直後から山崎は学会に対しカネを無心するようになる。学会の外郭企業から秘かに事業を引き継いで経営していた冷凍食品会社「シーホース」が火の車だったためだ。
そんな最中、教学部長の原島嵩が学会の内部資料を大量に持ち出す事件が発生。背後で手を引くのは山崎である。3000万円、1億2000万円――。山崎の要求はエスカレート、内部資料の暴露を恐れる学会はそれに応じ、池田自らが山崎を懐柔するため動き、返却資料をシュレッダーにかけた。
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