京阪、地上から消えた京津線「三条―御陵間」の今 地下鉄開業で廃止、だが直通で広がった路線網

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地下鉄東西線は六地蔵でJR奈良線や京阪宇治線、烏丸御池で地下鉄烏丸線、太秦天神川で京阪グループの京福電気鉄道嵐山本線(嵐電)と乗り換えができる。嵐電は市内唯一の路面電車(併用軌道)の区間があり、2025年春デビューの新型車両「KYOTRAM(きょうとらむ)」が話題だ。

地下鉄東西線が開業する1997年までは、三条大橋東詰から御陵にかけての三条通にも路面電車の区間がある京津線が走っていた。

京阪本線の三条駅は1915年の開業だが、京津線はそれよりも早い1912年、当時の京津電気軌道によって三条大橋駅が営業を開始している。1925年の合併によって京阪の駅となり、1949年に本線と京津線を統合した三条駅が竣工した。

地上時代の京阪三条駅
かつて地上にあった三条駅。左奥が京津線のホーム(写真:京阪電気鉄道)

かつての京阪京津線

もともとの京津線は京津三条から山科を経て、琵琶湖のほとりの浜大津(現・びわ湖浜大津)を結んでいた。蹴上(けあげ)―九条山間には、国鉄で最も急だった信越本線碓氷峠並みの66.7‰の勾配があった。1934年には大阪の天満橋から三条経由で浜大津まで直通する「びわこ号」が運行開始した。

びわこ号の運用を担ったのは日本で初めて連接構造を採用した「60型」電車。乗降扉は高床用と低床用の両方、集電装置も京阪本線用のパンタグラフと京津線用のポールを直通運転のために備えていた。現在は3編成のうち1編成が寝屋川車両基地で静態保存されている。

京阪 びわこ号
静態保存されている60型「びわこ号」(写真:京阪電気鉄道)
【写真】大阪の天満橋から浜大津までの直通列車として開発された「60型」。直通用のため2つの高さが異なる乗降扉がある。1934年の新造当時の貴重な姿
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