三条天皇の退位により、道長の孫の敦成親王が後一条天皇として即位することになったが、まだたったの9歳である。健康面も含めて、まだこれからどうなるかわからない。
一方の皇太子の敦明親王は23歳と、すぐにでも帝になれる年齢だ。状況次第では、皇位が敦明親王のもとに転がり込む可能性は、十分にあったといえるだろう。
「北風と太陽」作戦で敦良親王を皇太子に
だが、三条天皇は寛仁元(1017)年5月9日に崩御してしまう。後ろ盾を失った敦明親王は皇太子を自ら辞退し、結局、皇太子には道長の孫の敦良親王が立てられた。
さぞ、敦明親王は無念だったことだろう……と思いきや、敦明親王には「小一条院」という称号が与えられて、道長からずいぶんと手厚い待遇を受けている。
やはり、道長は三条天皇に「皇太子の座も自分の孫によこせ」と直談判する一方で、敦康親王を遊女との宴で遊ばせることで、敦明親王にも「退位したら穏やかで、こんな贅沢な暮らしが日々できるよ」と揺さぶりをかけていたのだろうか。
まるで「北風と太陽」の逸話のようだが、道長は見事に乱暴者・敦明親王のコートを脱がしたのであった。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
倉本一宏『三条天皇―心にもあらでうき世に長らへば』 (ミネルヴァ日本評伝選)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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