舗装の下から線路が…56年ぶり出現「都電の遺構」 東京都内には鉄道の遺跡が数多く眠っている
この橋を渡っていたのは早稲田と厩橋を結ぶ都電39系統で、目白通りから大曲で白鳥橋を渡り、春日町、上野広小路を経由し、厩橋に至っていた。白鳥橋上には「大曲」停留場が設置されていたが、狭い橋の上のためホームはなく、橋の欄干に電停名が掲げられていた。路線が廃止となったのが1968年9月29日なので、今回56年ぶりに線路が出現したことになる。
この都電の遺構は、10月15、16日に一般に公開され、2日間で約2000人が訪れた。ここで、この公開を行った東京都第六建設事務所工事課・河川工事担当者に、公開の目的や今後の処置について聞いた。
「白鳥橋撤去の手順は、まず照明や高欄等、橋梁付属物を撤去し、次にアスファルト舗装を、そしてコンクリートの床板、橋桁を撤去します。このアスファルトを除去した際にレールと敷石が出現しました。あえて一般に公開したのは、社会的関心が高いことを考慮したからです」
確かに半世紀以上も前の線路の出現は、鉄道愛好者以外でも興味を引くことだろう。実際、公開日には鉄道愛好家以外の人も多く、係の人に熱心に質問する姿も見られた。
今後の予定では11月中旬より、都電の線路を含め橋の撤去を行う予定とのことで、まもなくこの遺構も姿を消すこととなる。
ただ、この遺構を研究や展示などの用途で使用する場合には、無償で譲渡するとしている。河川工事担当者は「すでに数団体から申し込みがあります」とのことだ。貴重な遺構だけにぜひとも保存されることを願っている。
なぜ道路から遺構が見つかるのか
さて今回の白鳥橋に出現した都電の遺構だが、2019年にお茶の水橋の補修工事でもレールと敷石が発見されている。それ以前にも日比谷付近のアスファルトが車のタイヤで擦られ、線路が顔を出したことがある。なぜこのように道路から遺構が見つかるのだろうか。それをひもとくカギは、廃止時の処置にあった。
都電のレールは、一見すると道路に埋まっているように思われるが、実際は普通の鉄道のように、枕木でレールが固定されている。敷設する際は、道路面に溝を掘り、砂利を引き、その上に枕木とレールを設置し、自動車や人が通行するように、レール周辺を御影石などの敷石で固定する仕組みだ。
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