舗装の下から線路が…56年ぶり出現「都電の遺構」 東京都内には鉄道の遺跡が数多く眠っている

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ただ、近年ではコンクリート軌道ブロック(コンクリート製のプレート)に溝を掘り、締結金具で線路を固定する方法や、締結金具の代わりに樹脂を用いる方法などもある。

路面電車の線路は一般の線路と異なり、車輪のフランジ(出っ張り)が通過する溝を付けた溝付きレールを使用することが多いが、直線区間などでは、普通のレールも使用されていたようだ。今回発見されたレールは溝付きで、いかにも路面電車らしい。

溝付きレールと敷石(筆者撮影)

線路の敷石は、通常線路に対して垂直に敷かれることが多いが、この白鳥橋とお茶の水橋では、長方形の敷石がレールに沿っている。なぜこのような仕様になったのか。当初は橋の上だからかと思っていたが、筆者が所蔵する写真では、新大橋を渡る36系統の敷石は垂直になっている。ということは、単に橋の上だからではなく、狭い橋などでの保線作業を容易にするためではないだろうか。レールの交換の際、垂直よりもレールに沿っているほうが、敷石を外しやすく場所も取らない。もちろん、これは推測にすぎない。

都電の線路は東京中に眠っている

昭和40年代頃から自動車が急速に普及し道路の渋滞が激しくなった。当時は車優先の社会で、都電は次々と廃止に追い込まれた。通常なら路線が廃止されれば、レールや枕木は撤去されるが、併用軌道のレールは道路面と同じ高さのため、停留場などの突起物を撤去し、上からアスファルトで舗装すれば、すぐに道路として活用できた。工事費用も日数もかからないこの方法が、当時としてはべストだったのだろう。

筆者が所蔵する写真に、新宿駅前から出ていた12・13系統の廃止日の写真がある。最終電車が出発した数分後、作業員がツルハシで停留場の撤去を開始しており、翌日にはアスファルトで舗装されたようだ。それほど当時の道路状況は切迫していた。

現在も日比谷や日本橋、銀座など、かつて都電が走っていた道路下には、レールと敷石が眠っているはずだ。すべてのアスファルトを撤去して都電復活……。これは筆者の妄想と夢である。

渡部 史絵 鉄道ジャーナリスト

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わたなべ・しえ / Shie Watanabe

2006年から活動。月刊誌「鉄道ファン」や「東洋経済オンライン」の連載をはじめ、書籍や新聞・テレビやラジオ等で鉄道の有用性や魅力を発信中。著書は多数あり『鉄道写真 ここで撮ってもいいですか』(オーム社)『鉄道なんでも日本初!』(天夢人)『超! 探求読本 誰も書かなかった東武鉄道』(河出書房新社)『地下鉄の駅はものすごい』(平凡社)『電車の進歩細見』(交通新聞社)『譲渡された鉄道車両』(東京堂出版)ほか。国土交通省・行政や大学、鉄道事業者にて講演活動等も多く行う。

 

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