大谷は開幕直前の2月29日に真美子夫人との結婚を発表していたが、とにかく移籍に加えてあまりにも身辺があわただしく「野球どころではない」印象を与えた。
事実、開幕から自己ワーストの40打席無本塁打も記録し、多くのファンは「今年はリハビリ途上なんだから、打者として規定打席に到達して、そこそこの成績を上げてくれればいい」と思ったのではないか。
前人未到の「50-50」を達成するまで
しかし大谷翔平本人はそうは思っていなかったのだろう。ムーキー・ベッツ、フレディ・フリーマンという2人のMVP受賞者に挟まれて、大谷は次第にこの2人を凌駕する成績を上げるようになるのだ。
ベッツが死球で戦線離脱、フリーマンも故障やプライベートの事情で試合を休みがちになる中、大谷はほぼフル出場を続け、オールスター戦でも初ホームランを打つ。
7月ころには、走塁に文字通り加速がつき始める。MLBでは同一シーズンに30本塁打30盗塁することを「30ー30」という。パワーとスピードを併せ持つスーパーアスリートにしかできない大記録とされるが、大谷は8月3日、史上最速の108試合目で30-30を達成すると126試合目の8月23日には過去に5人しか達成していない40-40をサヨナラ満塁ホームランで達成。
それから1カ月足らず、150試合目の9月19日には6打数6安打3本塁打10打点という歴史的な打棒大爆発で、前人未到の50-50を達成した。
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