42歳のとき、真一さんは勝負に出る。念願の「自分の店」を神奈川県内で開いたのだ。
「でも、経営のことがよくわかっていませんでした。調理からお金の管理まですべて自分でやりましたが、接客までは手が届きません。アルバイトを雇ったら、人件費で利益がなくなりました。赤字続きです」
真一さんは1年ちょっとで見切りをつけて店をたたんだ。政府系金融機関などからの500万円ほどの借金が残った。
「地元に戻って勤め先を探しました。それが今の職場です。独身の弟が公団住宅に住んでいたので居候させてもらいました」
幼い頃から苦しいことが多かった弘子さん
弘子さんのほうは幼い頃から苦しい人生経験をしている。不仲の両親から八つ当たりをされることが多く、物心ついた頃から「私は死ななくちゃいけない」と思っていたという。外の人間関係にもなじめず、中学校時代には唯一の友だちに裏切られてクラス中から無視をされるといういじめに遭う。
「高校時代はできるだけ気配を殺して過ごしました。短大を出た後に銀行に就職したのですが、先輩にいじめられてしまって……。あるときから出勤しようとしたら足が動かなくなり、病院に行ったらうつ病と診断されました」
不幸中の幸いで両親の夫婦喧嘩は沈静化しており、弘子さんは実家に隠れ続けることができた。ただし、自室からほとんど出られず、寝たきりのような20代を過ごした。
30歳を過ぎた頃から少しずつ外に出られるようになった。しかし、派遣やアルバイトで働いてみても体がついていかず長続きしない。親しい人間関係も作りにくかった。
「私は愛に飢えているようなところがあって、一人はとにかく寂しいです。いつかは結婚して夫婦で仲良く暮らしたいと思っていました。職場の人に紹介してもらった2歳年上の男性と付き合いかけたこともあります。でも、仲良くなりそうになると逃げたくなるのです。両親の喧嘩を見ながら育ったことが影響しているのかもしれません」
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