核のごみ処分、「北欧モデル」は幻想に過ぎない 日本と同じく、非民主性が問題視されている

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フィンランドの研究者らは「制度的閉鎖性のため、市民社会組織が原子力安全の分野に介入することは極めて困難になっている。(中略)住民参画の機会はほとんどない」と指摘する。

フィンランドでは環境影響評価で住民が意見を表明する機会があり、それゆえに民主的なのだと日本では評価されてきた。

しかし、フィンランド・トゥルク大学の研究者らはこの環境影響評価制度の問題点を次のように指摘している。「環境影響評価が実際に決定プロセスに影響を持つのかどうかについて、多くの専門家が疑問を表明している。現在、環境影響評価の役割は助言的なものにすぎず、参加者は少なく、評価の枠組みはすでに決定された地層処分のコンセプトについての議論に限定されてしまっている」

フィンランドと同様に「透明性において徹底している」と評価されているスウェーデンの意思決定プロセスについても、同国の環境NGOの専門家スワン氏は、その「不透明性」を次のように指摘する。「放射性廃棄物を扱う施設に関する研究開発のすべての責任が民間事業体に委ねられている。この組織が情報システムへの国民アクセスの制度外にあることは、明確な問題である」。

スワン氏は、専門家から銅製容器の腐食可能性への懸念が示されながらも、その懸念点に十分な公開性のある議論が行われてこなかった問題を指摘している。

フィンランドでも、銅製容器の問題とともに、氷河期到来による処分場施設の損傷の危険性が指摘されてきた。

権威に従順なフィンランド市民

フィンランドで最終処分場建設が決まった背景に、規制機関などの権威に対して従順な市民の態度や、1970年代から原発と使用済み燃料貯蔵施設を受け入れてきたことによる立地自治体での反対運動の弱体化などの要因があるとも指摘されている。

2022年の”Science”記事は、「政府の規制機関が最終処分場計画は安全だと言えば、住民はそれについて心配することがない」というフィンランドの政治科学研究者のコメントを伝えている。「規制機関が安全だと言っているから」受け入れたというのである。つまり「安全神話」が確立しており、住民が規制機関と事業者に疑いを差し挟まないことで、最終処分場が決定したというのだ。

このように北欧両国では、「民主的な議論の可能性を排除し」「住民参画の範囲が限定される」ことによって最終処分場の建設を決定できたというのが実態に近い。

「北欧2カ国では民主的に最終処分場を決めた」という報道や論評が日本では多い。それは「核のごみ」を特定地域に押しつける計画が、「民主主義と矛盾せずに決定できる場合がある」かのような印象操作に等しい。

今必要なのは、「北欧をモデルにした、より民主的な決定」を求めることではない。そんなモデルはそもそも存在しないのだ。

数万年の安全を保証できない以上、核のごみ最終処分場の適地はなく、その選定は「不可避的に非民主的になる」。私たちはこの現実を直視する必要がある。そして核のごみを増やし続ける現行の政策や最終処分場計画自体を根本的に見直すことが必要だ。

尾松 亮 作家・リサーチャー

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Ryo Omatsu

1978年生まれ。東京大学大学院人文社会研究科修士課程修了。2004~2007年、モスクワ大学文学部大学院に留学。ロシア経済情報誌『ロシア通信』『ダリニ・ボストーク』通信編集長を経て、ロシアCIS地域の社会経済調査・コンサルティングに従事。エネルギー問題を中心に、ロジスティクス、AI、環境問題など幅広い分野で調査経験を持つ。著書『チェルノブイリという経験』『廃炉とは何か』(ともに岩波書店)他。

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