なぜ大人は若者に「合わせる」ようになったのか 成熟という価値観を喪ったデオドラント化社会
與那覇:まさに必要なことですよね。とりわけ本書の優れた点は、著者の舟津さん自身がふだん教えている学生たち、つまりZ世代に対して感じる「違和感」を大事にしていることだと思います。いまZ世代と銘打つ本は「彼らに共感・期待」みたいなものが多く、年長者が「私はまだまだ若い世代と同じ!」とPRするツールになっていると感じていたので。
私の『平成史』でも書いたのですが、年長者が若い世代に「合わせよう」とする傾向が強まったのは、2010年代の前半からでした。脱原発や安保法制批判のデモに接して、「若い人も来ている。つまり私の主張は若者と同じ!」という形で満足する人が続出しました。
一方で10年代の後半には、AIブームなどの未来主義やポリティカルコレクトネスが流行し、「お前の感性はもう古い」と叩かれることを恐れる人が増えた。その結果、「年齢を重ねてきたからこう言える」といった成熟した価値観を、誰も表明できなくなっています。
これに対して本書は、大学の教室で舟津さんが学生に「なんだこいつら」と感じる違和感から出発する。しかしそこで一方的にダメ出しするのではなく、「彼らの世界観ではなぜ、こうなるのか?」と問いつつ掘り下げることで、「こういう論理になっていたのか!」と腑に落ちる答えが見えてくる。断罪でも追従でもない、正しく相互理解をめざしたZ世代論になっていますよね。
舟津:ありがとうございます。この本は、パッと見はZ世代に関する本のように見えるかもしれませんが、実はそれだけではないんですよね。ちまたのZ世代本は「こういう人たちだから、こう対策しましょう」という「対策本」が大半です。なんかわからないけど新しいものが出現していて、でもそれはハックすれば乗っかれるんだよ、という。與那覇先生がおっしゃったように、新しいものに乗っかる発想が前提にあるんです。でも、私はそれに疑問を感じていて、その違和感を考察して伝えたいと思っていました。
この本を出してみて、読者の方の多くが「私はゆとり世代です」とか「Z世代とゆとり世代の間です」と世代を表明されます(笑)。実は、ゆとり世代の話ってあまり振り返られていないんですよね。騒いだ割にはちゃんと追跡調査がされていないように感じます。そのうち、新しい世代の話に移ってしまう。今は「Z世代、Z世代」と言われていますが、次は「α世代」の話になるのでしょうね。ポジティブに語ろうとするけど、忘却も早い。
Z世代にすがる社会
與那覇:そもそも若い世代といえば「持ち上げるもの」だというのが前提になっていること自体、ちょっと奇妙な現象ですよね。ゆとり世代はむしろ、叩かれる対象でした。大人が決めたカリキュラム削減ゆえではあっても、「勉強不足で使えない」みたいに。
私はさらに年長の「就職氷河期世代」ですが、共感というか同情されることは一応あっても、「氷河期を創意工夫で乗り切った人はクリエイティブ!」みたいに褒められた記憶はない(笑)。しかしZ世代に対してだけは、なぜかみんな「期待」を語る。それは、もう新しいものにすがる以外、希望が持てない社会の表われかなとも感じます。