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習近平最側近が心許した「平田牧場」創業者の憂い ひと烈風録③日中友好の士でもあった新田嘉一

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「このままだったら、日本は滅亡するよ」

平田牧場創業者、東北公益文科大学理事長の新田嘉一氏
会社が社会をつくるのではなく、社会が会社をつくるのだとして「平田牧場」を経営してきた(撮影:梅谷秀司)

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妙味で知られる「三元豚」。その生みの親であり平田牧場を興した新田嘉一は、いち経済人として中国との輸送航路を切り開いた北方のパイオニアだった。
※ひと烈風録【中編】はこちら

88年秋、新田は養豚の技術指導と共同飼育のために中国黒龍江省に招かれた。ところが視察するには広すぎる。車でも列車でも時間がかかると困惑する新田に、省政府が言った。

「では、ヘリを用意しましょう」

その軍用ヘリに乗って、空から広大な農地とそこを貫流する松花江を見たことが、新田のとてつもない構想に結び付く。

シルクロード航路の実現に奔走

極東の黒龍江省では養豚は難しく、省は、ならばと飼料用トウモロコシの輸出を考える。新田も、遺伝子組み換え作物でない良質の飼料を求め、思惑が一致した。問題は輸送である。

上空から松花江を見て、新田はこの川を通って、そのまま酒田まで運べないかと思った。それを当時、同省の副省長だった杜(と)顕忠にぶつける。

「それにはロシア政府の了解が必要です。松花江が注ぐアムール川には、中国とロシアの国境問題があるのです」

その後、省長となる杜は、「あなたの夢を実現させたい」と言って、「東方水上シルクロード航路」の実現に奔走する。

不可能を可能にする逆白波の人、新田ならではの発案をガッチリと受け止め、奇跡のシルクロードを実現させた杜を、新田は「忘れられない命の恩人」と称する。

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